目くるめく御嶽信仰の石碑群
− 虎ヶ岡城城址から鐘撞堂山 −
【年月日】 |
2018年2月7日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
波久礼駅(10:29)−虎ヶ岡城城址(11:32-12:01)−円良田(12:24)
−鐘撞堂山(13:06-13:17)−御嶽城址(14:01)−波久礼駅(14:44)
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【地形図】 |
寄居 ルート地図
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波久礼駅に自動車をとめて簡保センターへ向かう。
車道を登っていくと、道標があり、建物の塀に沿って北に入る。
しばらく行くと陣見山への小さな道標。ここを直進すると円良田湖方面へ行くようだ。
波久礼駅から三角点付近に登ってくる道は、やはり存在しないようだった。
前回来たときには確認しなかったが、長瀞町側から筑坂峠ヘ登ってくる道は廃道らしい。
風も吹いていないので、虎ヶ岡城址で大休止のつもりで直進した。
木の階段を登って城址に上がってみると、案に相違して風が吹いていたので、前回と同じく、空堀で大休止にした。
鹿肉ラーメンを食っていたら、気温が上がってきたせいか、どこからかアブが飛んできて、「美味そうじゃありませんか、ブーン」と言うので、「あっちへ行け!」と追い払ったら、「ケチンボ! ブーン」と言いながら飛び去った。
尾根道もあるが、階段を下って峠道経由で円良田へ向かう。
日だまりでセントウソウ・タチツボスミレが咲いていて、春の訪れを感じさせる。
シジュウカラやホオジロの声がずいぶん増えた感じがする。
テングチョウも飛び始めた。
円良田から鐘撞堂山への作業道は、尾根や谷を複雑に絡みながら進むので、地形図をよく見ないと混乱するが、ルートは地形図にあるとおりだ。
登山道に入って南へ登っていくと、最初のピークの上に谷津池への分岐。
巻き道もついているので、危うくそちらへ入ってしまいそうになった。
ひと登りで鐘撞堂山。ここに来たのは29年ぶりだ。
春霞がかかっていて遠望は利かないが、関東平野がよく見えた。
眼下に見える桜沢地区の裏山は、植林が少なく、晩秋に来てみれば紅葉も楽しめるかもしれない。
ここで小休止。
下りはとりあえず、円良田湖方面へ。
山頂にはたくさんの人がいたのだが、ここを下る人は他にいなかった。
車道を渡って五百羅漢方面へ登る。
登りついた鞍部から東に行けばいわゆる羅漢山だが、この日は西の247メートルピークに向かった。
直下には石碑と鳥居があり、お狗さまの狛犬も見えるから、山頂には神社がありそうな雰囲気なのだが、登ってみると、そこは御嶽講の石碑が林立する不思議な空間なのだった。
御嶽山大神の碑があるのはもちろんだが、普寛行者をはじめ、御嶽信仰のスーパースターというべき行者たちの石碑は全て揃っている。
八海山・三笠山など御嶽信仰に関係する碑だけでなく、蚕影山大神の碑もあり、東郷平八郎大神・乃木希典大神などというのまであって、ちょっと呆然としてしまう。
このピークは御嶽城址ともいうようだが、御嶽講が戦国時代から始まったとは考えられないから、より正確な名称があるはずだ。
ピークから下る道もあったが、とりあえず鞍部に戻って少林寺方面へ下る。
この前来たときには五百羅漢の道を下ったのだが、今回は千体荒神の道を下った。
この道には、各種荒神の名と梵字が彫られた石碑がずっと並んでいるのだが、半分くらいは倒れているので、できればちゃんと立てたほうがよいのではないかと思う。
道がカーブするところには、三宝荒神の石像が建てられているが、そのいくつかも倒れていた。
荒神碑も五百羅漢も、江戸時代に少林寺の住職が整備したと伝えられているようだが、もちろん、寺の力だけでそれだけの事業は不可能である。
羅漢については羅漢山の釈迦像を荘厳する意図があっただろうが、荒神碑はどういう意図があったのだろう。
少林寺から波久礼駅へは、少々急いだ。
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