下日野沢耕地めぐり
− 小松 重木 藤原 −
【年月日】 |
2016年4月3日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
旧日野沢小学校(11:53)−秩父華厳の滝(12:20)−重木分岐(12:54)
−中庭蘭渓墓(13:14)大休止(13:47-14:11)−藤原安産堂(14:19)
−旧日野沢小学校(14:58)
|
【地形図】 |
鬼石 皆野 ルート地図
|
秩父困民党風布組の進撃路は、出牛から金沢村加増・更木・浦山耕地を経て風早峠に至るルートが一つ、有力である。
だがもう一つ、金沢村金山耕地から下日野沢村藤原耕地に至り、重木-小前と進むルートもありうる。
風早峠ルートは、現在の二万五千図に記載されているにもかかわらず、実際には廃道である。
一方、秩父自由党の牙城を結ぶ後者のルートは二万五千図に記載がないのだが、踏みあとはまだ残っている。
今日は、このルートを実踏してみた。
旧日野沢小学校の校庭の一部が観光用の駐車場になっていた。
軽トラをそこにとめて、華厳の滝方向へと車道を行く。
くすんだ色の山の斜面のあちこちに、白いところがある。
ヤマザクラの花が咲いているのだ。
気温があがって、テングチョウやルリシジミもたくさん舞っていた。
奈良尾への道に入ると、道ばたの草花が賑やかだ。
タチツボスミレ・オカスミレ・ナガバノスミレサイシン・エイザンスミレ・ミヤマキケマンなどが咲いていた。
馬頭尊石塔のところから上の空滝への道に入る。
家族連れが一組、滝から帰ってくるのにすれ違った。
滝を過ぎると、道の荒れが目立つ。
戸井昌造氏の『秩父事件を歩く』には、この道ができたのは戦後だと書いてあったが、通る人はもういないだろう。
ヤブレガサ・モミジガサ・ヤブカンゾウなどが芽吹いていて、いい感じだ。
小松のすぐ手前で道標に従って、重木への道に入る。
ここはしっかりした道で、橋が一か所、朽ちそうになっていただけで、ことによると今でも道普請が行われているのではないかと思うほどだった。
登り下りがなく、小松と重木は、「味噌汁が冷めない」範囲のご近所だったことがわかる。
明るい雑木林を行くと中庭蘭渓の墓地。
すぐわきには、面識のあったSさんのお墓もあった。
Sさんからは、1980年ごろに「禊教に入らないか」と熱心なお誘いを受けたものだ。
すり鉢のへりを歩くように進むと重木の中心部で、村上泰治の屋敷。
藤原への道標が建てられていて、我が意を得た思いだった。
地元の方に確認して、その道を行く。
やはり平坦で、歩きやすい道だ。
大きな石を積んだ石垣などもあって、かつては多くの人々が行き交った道だということがうかがえる。
安永年間の墓石の立つ分岐(右はどこに行くか不明)を左に曲がると、やや荒れた道になる。
前方に藤原の人家が見えてきたので、小広いところで大休止をとった。
道なりに行くとまもなく車道に出て、先日見た、安産堂下の道標の前に出た。
ここからは車道歩きだが、各種スミレやユリワサビ、アズマイチゲなどがちらほら咲いていて、いい感じだった。
幹線道路に出るところに大きな水車が設置してある。
平坦地には何も建っていないが、ここは水車式こんにゃく製粉所のあとだという。
経営していたのは、『秩父事件を歩く』によれば、秩父困民党の藤原鳥蔵の子息だという。
|