ショートコースから秘湯の山里へ
− 観音山から千鹿谷鉱泉 2−
【年月日】 |
2012年1月7日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
札所31番駐車場(11:55)−31番(12:10-12:20)−観音山(12:56-13:03)
−小屋掛け(13:23-13:45)−落葉松峠(13:58)−千鹿谷集落(14:18)
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【地形図】 |
長又 ルート地図
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31番の駐車場には、自動車が数台、とまっていた。
特別なことがなくても、ここにはいつも、数台の車がとまっている。
石の仁王を見て、石段を登っていく。
道わきには、新しい句碑が林立している。
枯れたいい句もあれば、単に17文字を並べただけのような感じのもある。
すぐに観音院のお堂前。
お堂はコンクリート造りだが、ほんの一筋の流れではあるが、ひどくオーバーハングした岩壁の頂点から流下する聖浄の滝・森玄黄斎奉納の宝篋印塔・無数の磨崖仏・石の不動像など、周囲の風情はピカ一だ。
聖浄の滝の壁には、これまた無数のイワヒバが着生していた。
磨崖仏
| 不動像
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納経所の前を通り、展望あずまやへの道を分けて、観音山への急登にかかる。
木でこしらえた階段がずっと続いているのだが、歩幅に全く合わないので、歩きづらい。
階段道のわきに、スロープ状の踏みあとができていたので、そちらを歩く。
ガレ場状に大石が散乱した場所に、「仁王尊像細工場跡」という立て札。
山門に安置された仁王像を、ここで彫りだしたのだろうか。
この道には、「彩の国まごころ国体・山岳縦走コース」という鉄製の看板が、いたるところに立てられている。
山岳縦走競技というのは、いかに早く山を歩くかを競うという、恐ろしく馬鹿げた競争らしい。
道迷いなどしてはいけないので、役員が、コースの要所に立ってルートを指示したり激励したり、選手が食べるお弁当を運んだりするのである。
国体は、ずいぶん前に行われたのだが、国体用の道標は、終わったあとも、放置されたままだ。
鉄の板にペンキで書いた道標は、国体コースを指示するためのものであって、観音山への道を示しているわけではない。
場所によっては、観音山と逆方向を指示していたりするので、地形図も見ない多くのハイカーは、これに惑わされてしまうだろう。
これらはなぜ、早く撤去しないのだろう。
一方、このコースには、廃校となった倉尾中学校の生徒たちがによる、ゴミ捨て防止や草花保護を呼びかける小さな看板も、つけられている。
「ゴミを捨てるとクマが来ます」などと書かれていて、全くその通りだと、感心する。
まさにそのとおり
| 座ると痛そうなベンチ
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山頂直下に、またも「仁王尊像採石場跡」という立て札。
そうすると、仁王像は、山頂から伐り出された石を使い、山の中腹で刻まれたのち、観音院の山門まで運ばれたということになる。
枯れたオケラの花がらを見ながら、一気に山頂へ。
三角点の手前に、朽ちたベンチがあり、真東以外の全方向に、展望が広がる。
雲取山から奥秩父。雲取山直下に建物の屋根らしきものが見えているから、あれは雲取山荘かもしれない。
木賊山は見えないが、甲武信ヶ岳と三宝山は見えている。
両神山の頂稜も近いのだが、目の前に立ちはだかる送電鉄塔が、つや消しだ。
毘沙門山・二子山も見えるが、見る角度が違うので、一般的な姿とずいぶん異なって見える。
父不見山から城峯山にかけてもよく見えるのだが、山の名前がよくわからない。
少し戻って、落葉松峠への尾根に入る。
雑木林も多少あるとはいえ、ほとんどが植林地だ。
尾根の北側には、合角ダム。
みごとに湾曲した藤倉川の出口を堰堤が塞ぎ、東と南の陽あたりに点在していた人家は、ダム湖にすべて、飲み込まれた。
これは人為によって起こされた、永遠の洪水である。
湖水の下には、縄文時代の住居址もある。
魚をとる網につけられたオモリなども、ここから出土した。
1万年近くに渡って、この下で、人の暮らしが営まれてきた。
ここはずっと、山奥の小天地だったのであり、この村が、不便で辺鄙だなどと形容されるようになったのは、つい近年になってからである。
その間、営々と積み重ねられてきた、山村で生きていくための知恵や技術の数々は、ダムによって、いとも簡単に湖底に沈められた。
ダムがそれほど必要なものだったのであればともかく、あるときは治水といい、ある時には利水という、目的のはっきりしないダムなのだから、いかにも虚しい。
落葉松峠の手前では、大々的に雑木林の伐採が行われていた。
ターゲットはコナラのようで、クリやアカマツなどは、伐り捨ててあった。
コナラの搬出には、重機を使ったらしく、無残に裸地化していたが、植林しなければ、すぐにまた、元の林に戻るだろう。
落葉松峠に出ると、千鹿谷への道がわからなくなっていた。
伐採地を北側から巻き登ってみたが、小ピークを南から巻くのが正解だと思われる。
すぐに嶽ノ腰集落の上で、尾根を少し行くと、孟宗竹の林の中に、千鹿谷への道が分岐した。
ここは裏千鹿谷。
収穫されずにたわわに実ったままの柿が、可哀想だった。
植えられたものだと思うが、ヤマナシの実もたくさん、転がっていた。
車道を歩いて行くと、そこは旧知のS氏の家で、「もう定年になったのか」と声をかけられたので、しばし立ち話。
道路を下って行くと、谷に近づく。
陽が射さないところは昼間でも、寒い。
さらに下って、千鹿谷鉱泉で、入浴を乞うた。
こちらは、二人入れば満員になると思われる、小さな浴槽だが、泉質はたいへんよく、とろりとした湯に浸かると、身体がつるつるになる。
玄関には、「勝手に入って下さい」「入浴料700円は引き出しに入れておいて下さい」と記した紙がおいてあったが、勝手に入るのもなんなので、女将さんにひとこと挨拶して湯に浸かった。
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