山里を訪ねて
- 破風山 -
【年月日】 |
2006年2月18日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
風戸入口(11:05)−風戸(11:24)−破風山(12:10)−札立峠(12:20)
−大前山(12:40)−天狗山(12:55)−大前(13:05)−華厳の滝駐車場(13:25)
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【地形図】 |
皆野 ルート地図
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城峰山塊に抱かれる集落
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やや出遅れたので、トラックに自転車を積んで日野沢へ急いだ。
野巻あたりで大集団の中高年ハイカーとすれ違ったので、いやな予感がした。
秩父華厳の滝駐車場に自動車を止め、自転車で風戸入口まで下る。
陽の射さない谷底を走っていると、フリースを透る冷たい風が身体に当たってとても寒い。
日帰り温泉らしき施設の近くに自転車をデポし、関東ふれあい道の道標を従って山道に入る。
しばしで風戸。
秩父の山里らしい、山上の小天地だ。
日野沢は、このような山懐の集落がほとんど。
谷底は狭くて寒いから、ちょっとした南向きの緩斜面にこそ、人間の生活が成立する。
ここでは、クサイチゴやスイカズラが赤銅色に変色しつつも枯れずにいた。
風戸の水源から再びスギ林に入る。
山上集落にとって水源は死活問題となる。
水音はずいぶん細かったが、今は水道が開通しているからいいようなものの、かつてはさぞたいへんだったに違いない。
尾根へ上がると、南側が雑木林になり、樹林越しに秩父盆地が望まれる。
猿岩という尾根上の小岩峰からは、城峰山方面がきれいに見えていた。
山頂の手前まで来ると、あずまやの建つ小広場。
簡易トイレのようなものも置いてある。
さっきすれ違ったとおぼしき中高年の一団が騒いでいた。
山頂が近づくとアセビが多くなる。
つぼみのないのが多いかに見えたが、山頂周辺にはつぼみを付けた株が多かったので、あと1ヶ月もすればそこそこきれいに咲くだろう。
この前、破風の山頂に来たのは30年近く前だが、目の下に大田田んぼが広がり、正面に武甲山がそびえる風情はちっとも変わっていない。
変わってしまったのは自分の方だ。
月日の経過を思うとむなしいので、山頂では立ち止まらずに直進。
札立峠には立派な道標が立っていた。
峠から西へはノッキンボウへの道。
この小岩峰は、かつてノッキンボウと呼ばれていたはずだが、最近は如金峰ということになっているらしい。
現地には「如金さま」という立て札があって、如金峰とは金精信仰に由来する地名だという説明が記してあった。
そのような説もあるのだろうが、信憑性はあるのだろうか。
ここ20年ほどの間に、この近辺でいろんな伝説が捏造されていたかも知れないので、この説明はちょっと信用しがたい。
皆野町日野沢地区はバブル期に、カネの亡者たちが入り込み、ひどく荒廃させられた。
リゾート法の地域指定を受けた秩父地方には当時、西武をはじめとする開発業者が土地を買いあさり、土地にまつわる、根も葉もない怪情報が飛び交っていた。
バブルの崩壊によって、バカみたいな開発計画は一瞬にして消滅したが、山を切り開いて別荘地が造成されたところもあった。
ヤブコウジ
| 大前山直下におられる神様
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開発業者が入り込んだ背景には、地元で手引きをする人もいたのだろう。
濡れ手に粟の利得が誰かの手に転がり込んだが、ババをつかんだままゲームオーバーとなった人は困ったに違いない。
しかし一番バカを見たのは、このマネーゲームのツケとして10兆円もの税金を費消された国民だ。
日野沢を歩くと、至るところにバブル時代の遺物が骸をさらしているので、痛ましく忌々しい。
ノッキンボウの先は南側が急崖。
鎖の下がったところを登ると大前山。
大前の集落がすぐ下に見える。
このあたりの尾根にはアカマツが多いのだが、マツ枯れがひどい。
山頂直下にとても立派な神様の石像。
何という神様なのか知りたいが、台座に刻まれた文字は風化していて読めなかった。
かつては覆屋があったものらしいが、その残骸らしきものが北側斜面に転がっていた。
鞍部から大前に下る道もあったが、ここはさらに直進して天狗山へ。
天狗山には小祠があっただけで、展望はあまりなし。
天狗山からは北に向かって緩やかに下る道をとる。
しばしで小前との分岐。
久しぶりに小前にも行ってみたいが、ここは若いヒノキ林を大前へ下る。
大前まではすぐだった。
大前にも、別荘らしい白い家に、「売家」という看板が下げてあった。
沢辺への破線路は健在で、暗いスギ林の中を県道まではのんびり下った。
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