13年ぶりに、父不見山に出かけた。
この山は、3年前に、数日間に及ぶ山火事により、19.6haという面積の森林が消失してしまった。
当時、水を積んだヘリコプターが、連日のように飛び回っていたにもかかわらず、県境の埼玉県側は、ほぼ禿げ山状態になってしまった。
杉ノ峠の入口あたりは、すでに新しいヒノキの植林がされている。
とはいえ、まだ植栽後1〜2年にしかならない幼苗だから、まるで荒れ地同様の光景だ。
以前来たときには、スギ林の中を登っていったのだから、その変わりようたるや、はなはだしい。
ヒノキ苗とともに、クマイチゴやモミジイチゴが繁茂し始めており、タラノキの芽生えも、至るところに見られた。
これから、下刈り管理がたいへんだろう。
太い焼け株がそこここに残されており、失われたものの価値を思うと、暗然たるものがある。
ワラビを摘みながら登りついた杉ノ峠から万場町側は、当時のままの林が残っていた。
峠の祠わきの大木に、「火の用心」と書かれた古いプレートが打ち付けられていた。
ツツドリ、ヤマガラの声が群馬県側から聞こえてきた。
展望を遮るものがなくなってしまったので、峠から父不見山が、やけに近く見える。
尾根の上部には、ニセアカシアの植林がされてあった。
広葉樹を植えたのはけっこうだけれど、できれば日本産の樹種にしてほしかった。
「三角天」の石は、昔のまま。
ここで小休止し、いったん下って、長久保の頭に登り返す。
長久保の頭付近にはまだ、植栽がおこなわれていないところがあるようだった。
長久保の頭には、「大塚」と書かれた指導標が立っており、西へ直進すると坂丸峠、南に下ると摩利支天に至るとあった。
以前来たときには、坂丸峠から下ったので、今回は、南への尾根に入ってみた。
この尾根上に、摩利支天とい名のう岩峰があるのかと思っていたが、暗い植林地がずっと続き、結局、ピークらしいピークはなく、しばらくで「父不見フラワーライン」に出た。
この道は、ずっと以前に「小鹿野観光八景」に選定されたのだが、落石が多い上、廃自動車や廃家電が随所に投棄されているので、とても観光の対象になるところではない。
しかし、この日はさすが連休の最終日だけあって、山菜採りらしい何台かの車が、周囲を物色しながら走っていた。
焼け跡のうち、沢筋には、カツラの苗が植えてあった。
ここは、いつか、気分の良い林になってくれるだろう。
斜面にびっしり植えられた苗木を見ると、人間の力もたいしたものだと思った。