女困民党が越えた峠を行く
−奈良尾峠から風早峠−

【年月日】

1992年4月23日
【同行者】 単独
【タイム】

秩父華厳の滝(9:34)−奈良尾峠(10:51)−風早峠(11:50)
−重木分岐(12:45)−秩父華厳の滝(1:02)

【地形図】 鬼石

奈良尾峠から御荷鉾を望む

 また晴れたので、こんどは風早峠に行ってみた。

 奈良尾を過ぎて二股で少し休み、この日も植林地でナンテンハギを摘みながら登っていく。

 奈良尾峠からこの日は先日とは逆に、風早峠の方に向かう。
 地図に道の記載はないが、防火帯のような切り開きがあり、多少のアップダウンはあるが、気持ちのよい稜線歩き。

 この先、道はほぼ稜線通しについているが、途中で林道に出てしまう。
 しばらく林道をいき、再び尾根に上がると松並木となり、シイタケのほだ場から急降下して林道の風早峠に出た。

 ここに古い歴史的遺物はなにもなく、「広域基幹林道上武秩父線開設記念碑」なる大きな石碑が建つのみ。
 碑文によると、この林道は昭和52年に着工、23億円の費用を投じて昭和60年11月15日に開通したものだという。
 石碑の揮毫は畑和、建立主体は「上武秩父線広域基幹林道改良促進同盟」である。
 当地に民有林を持つ人にとっては必要な林道であるかもしれないが、全面アスファルト舗装、ガードレールつきである必要性がどこにあるのか。
 いましも日帰りツーリングらしきバイクが騒音と排気ガスを残して私の前を走り去ったが、「税金のむだ使い」と断じる以外にはない。

 あたりは雑木林で気持ちが良い。
 明治17年11月2日、下日野沢村小松耕地の新井チヨ、黒沢ウラ、群馬県の小柏ダイの3名が矢納村へ困民党の参加動員にいったとき、この峠で困民党の話をしたというが、その場所はこのあたりだったのだろうか。

 稜線をトラバース気味に下っていくとすぐに「風早峠」と小さく書かれた立て札の立っている地点。
 地形図では藤原耕地との分岐点だ。
 東側斜面いっぱいにカタクリの花が咲いていた。
 ここから杉林のなかを下るとすぐに水流に出会う。
 あとは沢沿いに気持ちのよい下りがつづく。
 あたりが開けてきたと思ったら「リバーサイドテラス」という荒れ地(別荘)に出た。