苔不動と糠掃峠の分岐から、車道を行くが、すぐに八重子沢に沿った山道。
登り始めてすぐに、樋口村軍人分会第七班と青年団辻支部によって大正11年1月に建てられた道標を見る。
それには「向テ左不動峠ヲ経テ河内方面二至ル」と彫られている。
これは、この時期組織的に建てられたものだ。
道は非常に荒れていて、とてもハイキングコースとはいえない。
「八重子大黒天」という石像のわきに、由来書き。
それによると、この大黒天像は、元来、野上下郷の住民の信仰の対象で、不動山の山頂にあったものらしいが、県営射撃場の建設に伴い、この地に移転したとのことだ。
ここにも前に見たのと同じ道標。
そこからしばらくはほとんど道が消えかかったようなスギ林の中を行く。
八重子沢が枯れるとトタン小屋が見えてき、右にカーブすると、傾斜が急になる。
ほとんど直登の道を登っていくと、大きな岩。
しめ縄などがあり、宗教的な雰囲気を持つ岩だ。
階段をひと登りで明るい山腹の苔不動。
長瀞の岩畳と同じ緑泥片岩であるが、基部に不動像が安置されていて、塔婆などがたてかけてあった。
不動像は古いものとは思えなかったが、二基の灯篭は文化4年の年号入りだ。
いずれも、辻・宮沢・杉郷の講中の寄進によるものだった。
急な道を登っていくと、突然、「苔不動尊入口」という大看板が立つ自動車道路。
これで苔不動のありがたみが半減。
不動山へはその少し上だった。
西側はスギ林で全く展望はなし。
東側も一部に雑木があるが、荒れていてきれいな感じではなかった。
横隈山(よこがいやま)が正面に見える、苔不動への分岐近くで大休止。
糠掃峠への山道は自動車道によって破壊されてしまっているので、自動車道を南に向かう。
道路の東側(長瀞町方面)は晴れていれば展望もまずまずのところだが、道から投げ捨てられたゴミが散乱しており、汚くて見ていられない。
左の植林の中に、糠掃峠(ぬかばきとうげ)の道標を見て、再び山道に入る。
里近くなってきたあたりで、また大正時代の道標。
右糠掃峠と書いてあり、今おりてきた左の道とは違っているが、それは何もまちがったことを書いてあるわけではなく、この地点からかつての旧道は右を登ったということだ。
それからは人家もあらわれ、自動車をおいた砂吹沢と八重子沢の合流点まではすぐだった。
この地点には二十三夜講の石碑とともに、馬頭尊の石碑も立っており、かつては信仰深い村人の生活の道でもあったことをうかがわせていた。