富士山を眺めながら

−桜沢峠から岩殿山−

【年月日】

2017年2月24日
【同行者】 単独
【タイム】

 遅能戸バス停(7:50)−桜沢峠(8:46)−岩峰(9:33-10:22)
−岩殿山(12:08-12:14)−最高点(12:20)−大月駅(13:18)

【地形図】 大月 ルート地図

 桜沢峠へ行くには、西奥山行きのバスに乗り、遅能戸で降りるのがよい。
 金山鉱泉への車道を少し行き、民宿のところで橋を渡り、トズラ峠への車道を少し登れば、セーメーバンへの道標が出てくる。

トズラ峠の馬頭尊(大きな写真)
岩峰から滝子山(大きな写真)

 ひと登りで桜沢峠だが、12年前に来たときの記憶はない。
 ここは、右へ、岩殿山方面に行く。

 尾根は雑木林だが、これといった特徴はない。
 樹林ごしに周囲の山が見え隠れするが、そちらもさほど、目をみはるほどのものでない。

 馬頭尊らしき石仏の建つトズラ峠を、天神峠と呼んだこともあったようだが、石仏は天神には見えない。
 峠を越えて登った岩峰の上で大休止にした。

 雁ヶ腹摺山・姥子山と思われる二つのピークが見えるのだが、確信はもてなかった。
 晴れてはいたのだが、富士山方面には雲がかかっていた。
 弱い冬型らしく、西からの風はかなり冷たかった。

 そこからも、似たような雑木林の尾根を登降する。
 笹平に生えている笹は、矢竹だと思う。
 これは、小山田氏が植えたものかもしれない。

 ゆるく下っていくと、稚児落し。
 大きな礫岩のスラブだ。
 ここで大展望が開けるが、富士山は相変わらず、雲をまとっていた。

稚児落し(大きな写真)
石祠の中の神像(大きな写真)

 天神山の手前に神像を祀った祠がある。
 ここからの展望もよい。

 岩殿城址が見えてくるが、途中にまだ岩峰がある。
 戦争中なら砦として使えそうな岩峰を、まずは巻いて過ぎる。

三ツ峠・鶴ヶ鳥屋山・本社ヶ丸(大きな写真)
百蔵山・扇山(大きな写真)

 なるべく早く岩殿城址への登りにかかりたいところだが、その先はどんどん下っていく。
 筑坂峠まで行ってようやく、登りに転じる。
 地形図で見ると大したことがなさそうだが、実際には直登できる斜度でなく、登山道は南へと巻いていく。
 山城としては、理想的によくできた地形だ。

富士山(大きな写真)
西側から岩殿山(大きな写真)

 トラバースしていくと、南側からの遊歩道に出る。
 あとは、階段状に整備されたところを登っていくだけだった。
 頂稜に出る手前にも大岩があって、とても守りやすそうだ。

 新府城を放棄し、落魄した武田勝頼が、家族とわずかの従者を連れて、最後に望みをかけたのが、家臣の小山田信茂が拠る岩殿城だった。
 強い方につかねばすべてを失うのが、戦国時代だった。

雁ヶ腹摺山(大きな写真)
ヒオドシチョウ(大きな写真)

 武田氏譜代の幕僚だった小山田氏にとっても、ここは、大きな岐路だった。
 どう見ても、みじめな勝頼に未来はなかったから、川中島の合戦の際に信玄とともに戦ったほどの武将だったのに、信茂は勝頼を裏切る道を選んだ。
 にもかかわらず戦後、彼は織田側によって一族もろとも処刑された。
 それもまた、戦国時代なのだった。

 本丸部分は、電波塔になっていて、展望皆無だから、南物見台のあずまやで小休止。
 ありがたいことに、ここで富士山の雲がとれ始めた。

 大月市街の向こうに三つ峠・鶴ヶ鳥屋山・本社ヶ丸・滝子山などが一望できて、なかなかよいところだった。
 15年前には南物見台を知らず、東から電波塔のところまで登ってきて引き返したのだった。

ヒガラ(大きな写真)
大月市街から(大きな写真)

 巨大スラブの鏡岩を眺めながら大月駅へ向かったのだが、風もなくなって、テングチョウやヒオドシチョウが飛び始め、風情はもう春だった。