鳥を見ながら里山を行く
− 源次郎岳から恩若ノ峯 −
【年月日】 |
2010年5月4日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
嵯峨塩鉱泉バス停(8:20)−林道(9:15)−源次郎岳(10:25-10:35)
−源次郎平(11:13)−恩若ノ峯(12:24-12:35)−登山道入口(13:13)
−塩山駅(13:39)
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【地形図】 |
塩山 大菩薩峠 ルート地図
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『甲斐の山旅』や山梨の山の歴史についてとても詳しい『山梨百名山』は、木曾義仲の関係者である岩竹源次郎がこの山で切腹したのが山名の由来だと述べている。
そのあたりから孫引きされているのか、ネット上には、上記の説がそのまま引用されて、あたかも定説になったようである。
全くの憶測だが、武田信玄の家臣に、川中島の戦いで戦死した初鹿野源五郎という武将がいる。
源五郎は、現在の甲斐大和一帯に縁のある人物だった。
源五郎にまつわる山名がいつしか源次郎に変化したということは、ないのだろうか。
ちょっと気になっている。
甲斐大和駅から上日川峠行きの小さなバスはたいへんな混雑だった。
人気の大菩薩峠へのアプローチを大幅に短縮できるのだから、ハイカーが殺到するのも、無理はない。
それにしても、けっこうなことだと思う。
ただ、嵯峨塩鉱泉でバスを降りたのは自分独りだけだった。
ワチガイソウ
| イワボタン
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バス停の前からすぐに山にとりつくことができる。
足元には、ワチガイソウ・イワボタンなどが咲く。
道標はしっかりしているのだが、踏み跡はそれほどでもない。
ゆっくり高度を上げていくと、ヤブレガサが群生したところを経て、富士山展望台と称するところ。
雲のため、富士山も何も見えなかった。
源次郎岳への本来の登山道は、牛奥集落から登ってくるようだ。
嵯峨塩からの道が登山道に出たところが、展望台なのである。
ここから芽吹き始めたカラマツの中を緩やかに登っていく。
しばらくで、牛奥峠方面とと源次郎岳方面の分岐。
牛奥峠がどこなのかわからないので、源次郎岳方面をとる。
自分の持っている古い地形図にはのっていない舗装道路を渡る。
渡ってすぐに「牛奥峠」と書かれた道標を見るが、そこが本当に牛奥峠なのか、さっぱりわからない。
ミヤマウグイスカグラ
| ヤマザクラ咲く
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ヤマザクラやミヤマウグイスカグラが咲く道だが、あまり歩かれている様子はない。
しばらく行くと、大木が目に入ったので、山道を外れて木を見に行った。
あたりには、ヒガラやゴジュウカラが忙しく飛び回っていて、気持ちのよい陽だまりだ。
大木はほとんどがクリだった。
クリの大木林といえば、小菅村・牛ノ寝通りのクリ林を思い出す。
どうしてこのようにクリ林が成立したものなのだろう。
下日川峠への分岐を見ると、源次郎岳の最高点。
南側が見えていそうだが、雲のため何も見えず。
源次郎岳三角点は、ここから少し下ったところだ。
三角点あたりでは、ミツバツツジがちょうど満開だった。
恩若ノ峯へは最初ひどく急な下り。
軽く登り返すと、源次郎平という道標のある明るい小ピーク。
ここには、センボンヤリがたくさん咲いていた。
ミツバツツジはちょうどよかった
| センボンヤリ
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恩若ノ峯へは、いささか長い尾根歩きとなる。
野鳥は多いのだが、葉っぱが開き始めて見えづらい上、カメラのオートフォーカスが迷いまくっているうちに鳥が移動してしまう。
なかなか決まった写真は撮れなかった。
植林地が多くなり、平凡な里山らしくなってくるとようやく恩若ノ峯。
ヒノキに囲まれて、展望の全くないピークだが、疲れたのでここで少し腰をおろす。
ここからは地形図にあるのとは違う道を下る。
尾根を少し下ると、南西への分岐があったので、そちらに入りかけたが、思い直して尾根を忠実に下る。
さらに北への踏みあともあったが、これも無視してさらに尾根を行く。
尾根道はいつしか消えてしまうのだが、どんどん下っていくと、明瞭なトラバース道に出たので、そこからははっきりした登山道を下った。
ヤマツツジが鮮やかだ
| オトコヨウゾメの花
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気温が高く、南面の下りは暑かったが、尾根ではまだつぼみだったヤマツツジも、ここでは咲いており、アオダモやオトコヨウゾメの花も盛んに咲いていた。
道なりに下っていくと、巨大な堰堤の手前で舗装道路に出た。
果樹園の間を下り、町に出ると塩山駅はすぐだった。
駅に着いた途端に、特急かいじが来たので、迷わず乗ったらずいぶん早く秩父に戻れた。
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