遅場集落先のゲートまでは広い道だが、その先は舗装されてはいるものの、狭い道なので、対向車が来たらかなりきつそうだ。
台風が過ぎたのだが、路面にも問題なかったのは幸いだった。
吉ヶ平の集落跡には、釣り堀の事務所らしき新しい建物があり、自動車も何台かとまっていた。
橋を渡って、簡易舗装の道を行く。
道ばたには、大正時代の馬頭尊石塔や庚申塔があって、かつてここで人々の暮らしが営まれていたことがうかがえる。
しばらく行ったところには墓石もあるのだが、今はもう、供養もされていないように見えて、もの悲しい。
馬場跡という石碑のある分岐を左に入ると、山道になる。
スギ林を緩やかに登っていくと、峠状の手前に雨生神社の分岐。
神社は小さな石祠だが、馬頭尊らしき石仏が横におかれていて、いささかおかしい。
神社から下に、樹林越しに雨生ヶ池が見える。
雨生ヶ池が「あまごいがいけ」なら雨生神社、すなわちあまごい神社は雨乞い神事を行った場所ということになろう。
登山道に戻るとブナ林になる。
巨大なブナはないが、まずまず大きなブナやミズナラが林立していて、感じがよい。
道が平坦になるとすぐに、雨生ヶ池のほとり。
峠状の布倉越のすぐわきにどうしてこんな立派な池があるのか、不思議だ。
池畔の広葉樹が紅葉していて、美しい。
ここからしばらく、紅葉した樹林越しの池を見ながら、ほとりを行く。
小尾根はブナ林。
ゆるく登っていくと、馬追沢の分岐。
地形図にない道だが、大谷ダムから周回できれば、面白そうだ。
急傾斜な斜面にとりついてしばらく登れば、番屋山のピークで、正面に冠雪した守門岳が見えた。
粟ヶ岳に行ったときにはガスっていたから、こちらの方向から守門岳を見たのは初めてだと思う。
守門岳手前の網張山もよく紅葉していた。
ここで大休止。
北側もいくらか伐開されていて、粟ヶ岳や青里岳・矢筈岳などが望まれ、青里岳の彼方には飯豊連峰ものぞいていた。
山頂からは、東への尾根を下る。
伐開されてから新しいと見えて、ネマガリタケや灌木を刈ったあとがあるが、多くのハイカーに歩かれれば、いい道になるだろう。
下降点からはトラバース下りになる。
途中から天保古道という表示が出てくるが、これが何を意味しているのかは、不明。
トラバースと急降下を繰り返すところが多く、合理的な道ではないし、炭焼のあとなどもあるので、八十里越の古道ではなく、昔の仕事道なのだろう。
シナの大木など鑑賞しながら八十里越に下り着く。
時間がまだあったので、旧街道をしばらく進んでみた。
紅葉のブナ林の中、多少の崩壊地もあったが、街道らしくトラバース道が続いていた。
小沢を何本か渡ったところで、潮時と思い、引き返す。
番屋山麓の紅葉を鑑賞しながら下っていくと、天保古道とか明治新道という表示が錯綜する。
明治新道の方は、灌木が茂って廃道化した道を復元しようとしているらしく、元の道形は荷車が通れそうな広い道だった。
吉ヶ平に戻ると、雨生ヶ池に行ってきたのか、団体さんが下山してきた。
対向車が来ると進退窮まりそうな道路だが、守門川の紅葉もみごとだった。
下田のいい湯らていで汗を流して帰途についた。
いい湯らていは、普通の日帰り温泉だが、システマチックでさほどよい印象は受けなかった。
|