信仰の米山
−下牧口から水野口へ−

【年月日】

2010年5月30日
【同行者】 単独
【タイム】

下牧登山口(8:14)−水野分岐(8:55)−駒ノ小屋(9:19)
−水野新道分岐(9:51)−しらば小屋(9:57)−米山(10:41-11:03)
−水野分岐(11:56)−水野神社(12:24)−下牧登山口(12:46)

【地形図】 柿崎 ルート地図
【別コース】 吉尾コース
大平コース
野田コース
谷根コース

地蔵の石仏が多い
これも地蔵

 下牧の登山口まで行くと、駐車スペースが足りないほどの盛況だったので、ちょっと驚いた。
 登山口には何かの係員の人が折りたたみいすに腰かけていて、「ごくろうさま」とか言ってくれたが、他のハイカーはとっくに出かけてしまったとみえて、人の姿はなかった。

 最初は荒れたスギ林の中の道を行く。平坦なところをしばらく行くと、「右 米山道 左 山道」と石に彫られた道標がある。
 周囲には、チゴユリやイカリソウの白い花が前日あたり降った雨にぬれていた。

 赤土のえぐれたすべりやすい急登のそばには、地蔵や観音の石仏が多い。
 米山は、里人の信仰篤い山なのである。

ブナの道
三十三観音

 ユキザサ、トリガタハンショウヅル、ニシキゴロモなどを見ながら登っていくと、背後が開けて、水野集落から登ってくる登山道を合わせる。
 シライトソウが、早くも咲き始めていた。

 ここから山頂までほぼずっと、足元にイワカガミを見ながら登る。
 越後のイワカガミはオオイワカガミで、奥多摩あたりのと比べて花数が多くて、じつに豪華だ。
 花の色も、濃ピンクからほぼ純白のものまで、バリエーションに富んでいる。

 傾斜がいくらか緩むと、駒の小屋。
 新しい小屋で、扉はないが、床もきれいでしっかりしている。
 小屋の中には、数基の石仏もおかれていて、罰当たりな真似はできないようになっている。

ピンクのイワカガミ(大きな写真)
白いイワカガミ(大きな写真)

 小屋の周囲はブナ林で、気持ちのよいところだ。
 少し登ると、観音の石仏が33体並んだところで、なかなか壮観だ。

 再び急登となって、水野新道への分岐を分けると、ちょっとしたピークに建つしらば小屋。
 こちらは屋根と壁はあるが、床がないので、使用不能だ。
 道の両側には、ムラサキヤシオが目立ってくる。

シライトソウ
ナガハシスミレ

 少し下った鞍部はやせ尾根で、風の通り道らしい。
 植生がここだけ変わっていて、キリンソウやヒメハギなどが生えていた。

 部分的に残雪が出て来ると、ここまで花がらだったショウジョウバカマの咲いた花もいくつか出てきた。
 ナガハシスミレ咲く山頂近くはぬれた赤土の、すべって仕方のない道だった。

 この日は米山の山開きだったらしく、山頂の薬師堂では、お坊さんが読経していて、おおぜいの人々が、こうべを垂れていた。
 避難小屋の中も人でいっぱいで、トイレの前にも行列ができていた。

山開きのためごった返す山頂
ハクウンボク散る道(大きな写真)

 あまりに騒々しいので、しばらく休んで下山にかかる。
 滑らないよう注意しながら水野分岐まで下り、ここから水野集落へ下った。

 こちらのほうが踏まれていない感じがしたが、ルートは明瞭で、ハクウンボクかエゴの花が大量に落花したところは、なかなか美しかった。
 スギ林から出たところは廃田で、スギナが一面に茂っており、古い地蔵が荒れた田んぼを見つめていた。

観音廻り供養塔(大きな写真)
荒れた田を見る地蔵(大きな写真)

 道ばたに建つ観音参りの石塔に「西国 四国 父秩 八十八供養塔」と記されていた。
 年号は、寛政と読める。
 秩父にも、米山薬師という小さなお堂があって、春の縁日で子どもたちが花を撒く行事は、いささか有名である。
 地元と、越後の里山とがこんな形でつながっていたとは、驚きだ。

 水野集落には、あちこちにケヤキの大木があった。
 中でも水野神社のケヤキは大きかったが、お幡棒入れがそばにあるので、いい写真は撮れなかった。

ミヤマシロチョウがすこぶる多い(大きな写真)
栃窪温泉鷺ノ湯

 下牧登山口まで、田畑の間を歩いたが、たくさんのミヤマシロチョウが優雅に飛び回っていた。

 下山後、栃窪温泉鷲ノ湯に寄った。
 山懐の小さな温泉だが、時間からとり残されたような感じのする、とてもいいお湯だった。