冷山歩道から高見石

【年月日】

2013年8月9日
【同行者】 単独
【タイム】

麦草峠駐車場(7:19)−狭霧園地(8:19)−渋の湯(9:45)−高見石(11:29-12:11)
−丸山(12:28)−麦草峠駐車場(13:09)

【地形図】 蓼科 ルート地図

 強烈な暑さが訪れたので、涼しそうな山を歩いてきた。

 いつも混んでいる麦草峠の駐車場だが、たくさんの自動車が停まってはいたものの、朝が早かったので、一杯にはなっていなかった。

ハクサンフウロ(大きな写真)

ヤマハハコ(大きな写真)

 支度をして、麦草ヒュッテの裏から、鹿防護柵をあけて、山に入る。

 5月末にはヒメイチゲが咲いていた場所で、、ハクサンフウロ・オヤマリンドウ・ヤマハハコ・ネバリノギランなどが咲いていた。
 防護柵の中と外では、花の数が段違いで、柵の効果が一目瞭然だった。

 樹林帯に入ると、鹿が鋭く叫びながら走り去っていった。

ベニヒガサ(大きな写真)

フサクギタケ1(大きな写真)

 朝の樹林帯なので、さすがに涼しくて気持ちがよい。
 ときおり自動車の走る音が聞こえて興が冷めるが、森の雰囲気もすこぶるよい。

 駒鳥ノ池を過ぎると、足元に、フサクギタケが多い。
 真紅の小さなきのこは、ベニヒガサだ。
 本格的な夏になったばかりだから、ショウゲンジなどは見当たらなかった。

フサクギタケ2(大きな写真)

フサクギタケ3(大きな写真)

 狭霧園地からは、冷山歩道に入って、ゆるい登りとなる。
 リンネソウやクモキリソウ・コイチヨウランなど、ほとんどの人が見落としそうな地味な花がときおり、イチヤクソウは比較的至るところに咲いていた。

リンネソウ(大きな写真)

クモキリソウ(大きな写真)

 冷山近くと思しきところに、行き先不明の踏みあとが分岐する。
 ことによると、これが丸山へ直行する道かもしれない。
 しかし、踏みあとはいつ消えてもおかしくないほど、薄かった。

 このあたりは、数千年前の、打製石器の工房跡のはずだが、新しい倒木もなく、それらしい遺物など、まったく見あたらなかった。

イチヤクソウ(大きな写真)

静かな針葉樹林(大きな写真)

 樹林帯には、ベニテングタケ・カノシタほか、同定できないイグチがいくらか出ていた。
 はっきりした下りになるとほどなく、硫黄の匂いが漂ってき、渋ノ湯に降り着いた。

 腰を下ろすところもないので、ここでは休まず、高見石へ向かう。

ベニテングタケ1(大きな写真)

モミジタケ(大きな写真)

 崩壊した登山道を巻くと、黒百合平への道を分け、しばらく沢沿いを行く。
 水流が消えると、再びリンネソウ群落がある。

 周囲が開けてくると賽の河原で、岩塊の上を跳んで歩くようになる。
 岩塊帯の中ほどに、石地蔵が一体。

 地蔵のわきに、由緒を刻んだ碑が建っていた。

 賽の河原地蔵尊由来

 信州高島藩領 諏訪郡金沢宿本陣問屋四代目当主小松三郎左衛門は自村と隣村との山論に対する藩の不当裁定に強く抗議し、直訴も辞さない決意をもって、再度願い出るに及びしところ、奉行所は入牢を申しつけ、直ちに磔刑に処せらる。時に延宝六年(一六七八)十月二十五日、金沢下町の宮川沿いに於いて涙で見守る住民多数の前で三十四歳の若さを一期にその生涯を終焉せり。更に同族たる鋳物師屋新田の小松久兵衛もまた此の事件に連座したるとして藩士の地位を失ふ。然るに久兵衛の嗣子今右衛門は其の慰霊と追善とを計り、渋の湯の開発を始め、湯の道に三十三番観世音菩薩石像を配列し、更に親族の福沢村名主竹内勘兵衛の助力を得てここ賽の河原に地蔵尊像を造立す。時に安永二年(一七七三)のことなり。
 三郎右衛門の遺族は久兵衛家の懇篤なる扶養を受け妻お松は九十三才の天命を鋳物師屋にて全うす。
 事件の後二百年 明治十三年に至り、宮城上等裁判所に於いて遂に此事件は金沢側の勝利判決となり、三郎左衛門の悲願はここに漸くにして達成するを得たり。
 大方の諸賢には、義人三郎左衛門の心情を察せられ、併せて深山の安泰を祈願せられんことを希うものなり。

 昭和六十三年十月吉日

   茅野市郷土研究会名誉会員 竹内丈夫 識
   鋳物師屋小松家末裔 小松謙介 小松勝郎 建之

 この碑文だけでは、どんな山論だったのか、よくわからない。

賽の河原(大きな写真)

地蔵(大きな写真)

 岩塊帯を抜けて少しで傾斜が緩み、平坦な道となる。
 登山者の行き交う高見石は、すぐだった。

 ここまで休まずに来たので、ここで大休止。
 ここにはテントも張れるが、水は買えるのだろうか。

高見石から白駒池(大きな写真)

ベニテングタケ2(大きな写真)

 丸山へは、ゆるい登りだが、麦草への下りはやや急だ。

ネバリノギラン(大きな写真)

オヤマリンドウ(大きな写真)

 さすがに暑くなってきたが、麦草峠の草原までは、すぐだった。