ショウジョウバカマ咲く
−三里山−
【年月日】 |
2023年3月31日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
花筐公園(6:22)−行司岳(7:51-8:28)−南三里山(9:07)
−三里山(10:14-10:30)−国中集落(11:30)−花筐公園(12:10)
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【地形図】 |
鯖江 河和田 武生 稲荷 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小)
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朝がまずまず早いので、花筐公園の駐車場に、自動車はとまっていなかった。
まずは、岡太神社にお参り。
神社と継体がどういう関係なのか、よく理解できなかったのだが、継体天皇がここで暮らしていたという伝説があるらしい。
継体天皇が実在の人間だということは確かだろうが、彼が何ものであるかはほぼ不明で、ヤマト政権を征服した男なのだろうというM先生の説がもっとも合理的な説明と思う。
にもかかわらず、ヤマトに入った継体の話に尾ひれがついて、わけがわからなくなってしまっている。
岡太神社からしばらく林道を行き、薄墨桜道という道標のところから登山道に入る。
イカリソウやトキワイカリソウが咲き始めており、キクザキイチゲは終わりかけに見えた。
植林地ではないが、ごく普通の雑木林だ。
トラバース気味に登っていくと、孫桜。
まずまずの大木だ。
朝倉時代に植えられたという説明板があるのだが、それだと樹齢は約500年になる。
大木とはいえ、実際の樹齢は200年いってないと思われる。
さらに登ると、薄墨桜の案内板。
コッチは継体天皇が植えたという話なので、樹齢は1500年ほどということになる。
桜が1500年生きるということはとても考えられないので、この説明は、とてもありえない話と言わざるをえない。
桜の樹そのものは、たしかに非常な老木で、かなり弱ってはいたが、まだ花を咲かせていた。
なんとか、元気でいてほしい。
主稜線に出て、まずは行司岳へ。
ヤセ尾根をしばし行くと、空堀や竪堀を見て、行司岳城址。
風化したのか、保存状態はあまりよくなく、この砦の防御性には疑問がある。
行司岳のピークは周囲が伐られて好展望。
眼下には、整然と耕地整理された田んぼが広がる。
このあたりは越前府中の近くで、柴田攻めののち、織田信長が再来していた際に、住民大虐殺が行われたところだ。
ここで大休止。
来た道を戻り、今度は南三里山へ直進。
主稜線にはショウジョウバカマが多い。
盛りは過ぎているが、状態のよいのも多い。
イカリソウ・ヤブツバキなども咲いている。
三里山まで来て少休止。
ここまで、分岐をいくつか見送ったが、時間はまだ十分。
登山道は北へ続いていたが、下山路は東尾根にした。
こちらは踏みあと程度で、廃道化しつつある感じ。
標高213メートルの小ピークで、踏みあとをロストした。
南東への尾根がヤブながら比較的歩きやすかったので、こちらを下る。
コシアブラがけっこうたくさん芽吹いていた。
ユキグニミツバツツジらしきツツジも、下部ではよく咲いていた。
廃林道に出ると、カタクリの花がちょうど終わりかけていた。
町へ出ると、鞍谷川の土手に植えられた桜が満開で、いい感じだった。
下山後、福井市の柴田神社に行ってみた。
繁華街の一角の神社で、社叢などはなく、拝殿前に柴田勝家・お市・浅井三姉妹の銅像が立っていた。
資料館もあったが、期待したほどの展示ではなかった。
朝倉時代もさることながら、柴田時代・結城秀康時代・松平家時代と、重要人物が支配した越前の首都である。
いつか、じっくり見てみたい。
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