兵どもが夢の跡2
−虎御前山城址−
【年月日】 |
2018年12月26日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
虎御前山公園駐車場(9:57)−木下秀吉陣跡(10:51-11:24)
−夫婦岩(11:38)−虎御前山公園駐車場(12:31)
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【地形図】 |
虎御前山 竹生島 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小)
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虎御前山公園の駐車場からまずは、矢合神社へ登っていく。
社名から矢の神様を祀っていると思われるが、鳥居のわきに立派な鐘楼がある。
おそらく何か、いわれがあるのだろう。
その先は、ひと気のないキャンプ場になっている。
虎御前山の稜線には群集墳があって、無数の円墳や前方後円墳が築かれている。
信長は、これらの古墳を潰して、浅井攻撃のための陣地を築いた。
そういえば、川中島の戦いを前に上杉謙信が築いた妻女山も、かなり大きな古墳だった。
戦国武将は、古墳が何であるか、あまり気にしている様子がない。
そしてこのキャンプ場は、古墳と諸郭を潰して作られているのである。
これまたどうも、歴史を気にしている様子がない。
徳川家康や丹羽長秀の陣跡は消滅し、滝川一益陣跡には電波塔が立っていた。
ここから山道。
びっしり植林されているわけでなく、尾根は雑木林。
樹間から、広大な近江平野が望まれところる。
樹種はアベマキが多い。
信長陣跡は最高点でないが、小広い平坦地だ。
そのすぐ下が、信長の馬繋ぎ場。
『国盗り物語』には、信長はいきなり馬に乗って駆け出すように書いてあるが、低山とはいえ、ここから馬で駆け下ることができるのだろうか。
そのすぐ下が秀吉陣跡で、明るい陽だまりだったので、大休止。
ラーメンを食べながら、秀吉のことを考えた。
柴田勝家陣跡の少し先に、夫婦岩の分岐。
踏みあとはあるが、さほど明瞭でもない。
ついそちらへ入り込んだが、北陸道がすぐ眼の下に見えるところまで下ってしまった。
夫婦岩は樹林の中で、展望なし。
登り返すのが億劫なほど下ってしまったので、そのまま下った。
北陸道の側道までもうすぐというところに、アズマネザサのヤブ。
ヤブ自体は大したことないのだが、ツルが絡んでいるので、足を取られる。
ここに要害が潜んでいようとは。
ヤブを抜けると用水路で、渡れない。
倒木を利用してようやく、側道に出ることができた。
下山後、国友鉄砲資料館や長浜城を見たので、この日はその後も、頭の中で相変わらず秀吉がチラチラしていた。
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