菅山寺を訪ねて
−呉枯ノ峰−
【年月日】 |
2006年11月10日 |
【同行者】 |
Uさん |
【タイム】 |
余呉大橋(9:55)−菅山寺(11:15-12:32)−分岐(11:36-12:01)
−呉枯ノ峰(12:23)−余呉大橋(14:15)
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【地形図】 |
木之本 ルート地図
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石仏
| 石仏
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余呉大橋の手前の駐車場から軽い支度で歩き出す。
意波閇神社を過ぎ、集落の中をしばらく歩いて、赤い鳥居のあるところを右に入る。
ここには牛の石像が置いてあるのだが、これはどういう意味があるのだろうか。
北陸道のガードをくぐるとすぐ左に菅山寺への道標がある。
ちょっと荒れた感じのする里山の道だが、道ばたにはたくさんの石仏が置かれていて、見飽きない。
石仏はどこかのお坊さんのような姿をしているのがほとんどで、手に経巻をもって座しているのが多かったが、首のないのも多くて無惨な感じがした。
これらは廃仏毀釈の際の破壊によるものだと思われる。
寺院と権力が結託して民を支配した江戸時代の歴史はわかるが、それに対する憎悪のみによってこれらの破壊が行われたのかは、疑問だ。
タカノツメ黄葉
| アキノキリンソウ
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のんびり歩いていくと、黄葉したケヤキの木のある峠状の十字路。
すわるとぐらぐらするベンチが置いてある。
左はスキー場への道で、右は呉枯ノ峰への道。
ここは直進して、菅山寺へと下る。
ここまでの道はおおむねふつうの雑木林だったが、菅山寺周辺は一変してブナやカエデの自然林。
大木があってなかなかみごとだ。
下っていくと住職墓石群があり、さらにちょっと寂しい山門。
無住のため手入れが行き届かないのだろうが、気の毒だ。
山門のわきには菅原道真手植えと伝えられるケヤキの巨木。
いかにも偉丈夫という感じの堂々たるケヤキだった。
山門のすぐ先が本堂。
こちらもツガやケヤキの大木に囲まれた荘厳な堂宇である。
呉枯ノ峰へは先ほどの分岐まで登り返さなければならない。
お昼になったので分岐で大休止。
呉枯ノ峰への道は、菅山寺参道と比べてかなりヤブっぽい。
田上城跡への分岐を過ぎるとヤブはさらに濃くなるがしばしで呉枯ノ峰。
展望は皆無だが、ハイカーもおらず静かでよいところだ。
山頂近くの倒木に、ヌメリスギタケも出ていた。
コシアブラがたくさん生えていて、透き通った黄色に色づいている。
タカノツメも多いが、こちらは低木で、黄葉にはまだ少し早い。
ウルシの紅葉は今ひとつだ。
下山ルートは田上城跡コース。
どんどん下って伐採あとの鞍部から少し登り返す。
空堀などもあっていかにもそれらしい雰囲気の場所。
賤ヶ岳合戦の際に豊臣軍(羽柴秀長)が陣地を構築した遺構である。
ここからは林道のように広い道。
またまた石仏が出てくるが、表参道のより新しいようだ。
下りきると伊香高校わきに出た。
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