初めて安達太良山に登ったのは、1990年の4月下旬だった。
前夜は上野駅で野宿して、朝一番の新幹線に乗り、福島から朝一番のバスに乗れば、9時には野地温泉を出発することができる。
その日のうちに安達太良連峰を縦走してくろがね小屋で幕営するつもりで、テントも持って行ったのだが、鉄山まで来たら霰混じりのひどい風で行動がとても困難になり、鉄山避難小屋で一泊して、翌日、予定のコースを歩いたのだった。
次に安達太良に来たのは1995年の11月だった。
銚子ヶ滝からのロングコースを往復しようとしたのだが、雪が深く、とてもラッセルしきれないと判断して、早々に撤退した。
安達太良では今まで、あまり天候に恵まれなかった。
今回はどうかなと思いながら出かけた。
一週間前に高熱を出してしまったのだが、すぐに病院に行ってインフルエンザの処置をしてもらったので、症状はどんどんよくなっていった。
山行直前は激しいトレーニングを控え、静養に努めたので、当日には、ほぼ問題ないまでに回復した。
さいたま新都心駅で電車を降りたのは、初めてだった。
最近は、出張でこちらに来ることもなくなっていたので、さいたま新都心がいったいどのあたりなのか、さっぱりわからなかったが、駅を降りたらLEDのイルミネーションが馬鹿にハデハデしいので、たまげてしまった。
横向スキー場へのバスの中は暖かかったので、けっこうよく眠れた。
移動性高気圧になるという予報だったので、ずいぶん気が楽だったのだが、横向に着いても、風も弱くてまずまず予報どおりの穏やかな天気で助かった。
少し休んだ後、ワカンをつけて行動を開始したのだが、ワカンの装着があまりよくなく、パーティを2度もストップさせてしまって申し訳なかった。
この前、といっても5年ほど前に妙高高原でワカンハイキングしたときにも調子が悪かったのだが、その後ちゃんと補修しておけばよかったのに、放置していたのがよくなかった。
でも、とりあえずの補修で行動し続けることができたので、よかった。
車道を歩いていると、南東方向に箕輪山と鉄山がよく見えた。
鉄山の肩には、21年前にお世話になった避難小屋が見えていた。
小さな尾根に上がると、ほぼ平坦なルートとなり、トラバース気味に登って反射板ピークの鞍部に着く。
あたりはブナ林で、すこぶる風情がよい。
鞍部から北側の斜面が、今回の雪洞村だった。
温泉から来ると思われる、硫化水素の匂いが一帯に漂っていた。
時刻はまだ10時過ぎだったが、3人ずつの2グループに分かれて、さっそく雪洞作りを開始した。
私は初めてだったが、同宿者は経験者なので、手際がよかった。
夜中に吹かれると困ると思って、入口はあまり大きくしなかった。
最初は1人しか掘れないので、交代でどんどん掘っていった。
ある程度奥まで掘ると、ササや潅木が出てきたので、突き当りから左右に分かれて、T字型に掘り進んだ。
ここまでくると、掘る人と雪を捨てる人が必要になるので、3人でフルに働かなければならなかったが、やればやっただけ快適な穴になるので、やりがいがあった。
天井をあまり削って薄くなっては困ると思ったのだが、天井の雪の厚さは、実際のところ1メートル以上あったので、上をもっと削ればよかった。
入口付近に掘り出した雪を放り投げていたら、入口がどんどん狭くなって、這って出入りしなければならなくなったので、入り口の床を少し掘り下げて、中腰でも出入りできるようにした。
もう一つのグループの雪洞は、入口に雪のブロックをきれいに積んであって、見た目もなかなか立派だった。
炊事開始まで時間があったので、しばし休み。
ずぶ濡れではなかったが、撥水性のなくなったヤッケがいくらか濡れていた。
炊事はいつもと同じように、順調。
分量もちょうどよかった。
翌朝の段取りをよくするために、寝る前に水作り。
雪は壁を削ればとれるので、らくだった。
雪洞内はだいたい、0度くらいに保たれているので、洞外に比べれば、ずっと暖かい。
あるものをすべて着込んだ上、羽毛シュラフに化繊の薄いシュラフをかぶせて、寝に就いた。
体感的には、氷点下6度だった鷹ノ巣山のテントよりずっと暖かかったが、眠っているうちに、濡れたヤッケが乾いていき、その気化熱で寒気がした。
とはいえ、寒くて眠れないほどではなく、明け方には、着ているものもほとんど乾いてしまった。
朝は5時半にコンロに点火した。
夜のうちに作っておいた水は、凍らずにいたのだが、コンロが弱いため、鍋のお湯が沸騰するまで30分近くかかった。
食事をすませて外に出てみると、天気は快晴で、目の前の高山や東吾妻山がピンク色に染まっていた。
東吾妻のかなたには、中吾妻山から西大巓にかけての稜線が真っ白だった。
ちょうどご来光のタイミングだったので、東側を見にちょっと尾根に登ってみたかったが、斜面のいたるところに雪洞が掘ってあるため、かなり遠回りをしなければならず、そのときは断念した。
雪洞内の身の回りを片づけたあと、自分たちの雪洞のわきを登って反射板ピークまで登ってみた。
樹林帯は、うさぎの足跡しか残されていない新雪が、ブナの大木の間から射しこむ光に輝き、えもいわれぬ美しさだった。
反射板
反射板からは鬼面山がよく見えたが、既に太陽は、高く昇ったあとだった。
予定より少し遅く、鬼面山に向かって出発。
ゆるく下って、21年ぶりの旧土湯峠。
少し登りにかかったところで、夏道をはずれて、トラバース気味に樹林帯を下り、沢状のところに出る。
鬼面山と箕輪山の鞍部をめざすのだということだったが、どうして、そのようなルートを行くことにしたのかは、わからなかった。
沢状のところを登っていくと、尾根近くに出る。
出発する前後に吾妻連峰から湧き出した雲が押し寄せてきて、展望は皆無となり、風も強くなった。
夏道のすぐ近くにいることがわかったのだが、夏道に出ることはせず、再びトラバース登り。
全体がときどき停止するのだが、なぜ止まっているのかは、よくわからなかった。
もちろん理由があって止まっているのだろうが、吹きさらしの急斜面でじっとしているのは、あまりよくないのではなかろうか。
鬼面山山頂1
| 鬼面山山頂2
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鬼面山直下に来ると、列が乱れて三々五々、山頂へ。
強風を遮るものもない場所なのだが、この時期にしては冷たくない風だったので、さほどつらいということもなかった。
山頂の石や潅木には、風上側にエビのしっぽがついていて、とてもきれいだった。
ときおり、ガスが切れると、巨大な箕輪山が顔を出す。
箕輪山の頂稜部のガスは、まったく晴れず、ひどい風が吹いていることが想像された。
記念写真など撮って、ほどなく下山にかかる。
急下降の夏道だが、適度に雪がついていたので、ずいぶん楽に下ることができた。
雪洞までは、1時間もかからなかった。
時間調整のため、雪洞でしばらく待機となったが、穴の中は、暖かいとはいえ、あまり楽しいところでもないので、外の景色を眺めたり、写真や動画を撮りながら時間をつぶした。
出発の30分前から雪洞を壊し始めたが、天井部分が思ったよりはるかに厚く、穴の上で飛び跳ねたくらいでは、びくともしなかった。
2日目の宿泊地である新野地温泉までは、10分少々の下りだった。
新野地温泉(相模屋旅館)は、古い温泉旅館の例に漏れず、廊下が微妙に傾斜しており、とても風情のよい宿だった。
内風呂と野天風呂があったが、風も強いので、野天にいくのはやめて、内風呂で温まったが、乳白色に濁った、湯量豊富な温泉だった。
疲れと汚れをすっかり落としてリラックスしたが、翌日またワカンを履かねばならないと思うと、さほどのんびりもできなかった。
冬型になるという予報どおり、夜中に戸外を吹きまくっている風の音も、気になった。
朝になって窓を開けると、風は強かったものの、鬼面山が見えており、積もった雪が飛んではいたものの、降雪はなさそうだった。
予定通りに出発し、設営地へ登り返す。
約30分の登りだったが、ハイペースだったため、ずいぶん疲れた。
反射板からは、しばしば中途停止を交えて下るだけだったので、特に問題なし。
思っていた尾根よりかなり西側だったが、下りついたところはバス乗り場のすぐ近くだった。
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