スキーをはいて鶏頂山

【年月日】

1996年3月11日
【同行者】 極楽蜻蛉と友人
【タイム】

メイプルヒルスキー場(7:15)−鶏頂山(10:30)
−メイプルヒルスキー場(3:30)

【地形図】 川治、高原山

尾根の上から鶏頂山

鶏頂山にて

 メイプルヒルスキー場の駐車場を出発したのは7時半前。
 今回は二人とも気恥ずかしいようなハデハデツァーブーツ(兼用靴)をはき、私はザックにピッケルまでつけて、装備だけは一人前の中高年七五三登山スタイルだ。

 シールをつけ、だれもいないゲレンデを登りはじめてからまずあせったのは、私が異常に遅れてしまったからだった。
 普通の山歩きでなら年齢のわりには速いと自分では思っていたのだが、スキーをはいて山を登るときには、足の長さが決定的なのだということを思い知った。

 天気は薄曇りだが、風は弱く、汗が吹き出てくる。
 はるか先を行く友人に追いつこうとピッチをあげるが、彼はどんどん先に行って平らなところで待ってくれていた。

 そうしているうちにリフトが動き出し、汗だくになって登っている私の頭上をスキー客が通っていく。
 頭の上から「なにやってんの?」と呼びかけられるのには、まいってしまう。馬鹿らしい歌詞の音楽も鳴り始めた。

 スキー客が滑走して来はじめたので、迷惑になっては悪いと思い、ゲレンデのはじの方を登っていき、いちばん上のリフト終点からようやく静かな登山道に入った。

 ほぼ夏道通しにワカンとスキーのトレイルがついていた。
 平坦な道をずっと行くと大沼。
 もちろんあたり一帯が雪面なので、どこが沼だかわからない。
 鳥居がずいぶん低くてくぐれないほどなので、雪はまだずいぶん深い。

 ルートにはワカンの足跡もあるが、スキー以外のはきものではつらい登りになるだろうと思われた。
 大沼からもシール登行に問題なし。

 頂稜に着くと、やせ尾根の上のアップダウンになるのでスキーをデポして、ツボ足登行。
 兼用靴は、ふだんの登山靴とくらべればずいぶん歩きにくい。

 ここからは、トップを交代し、私が先になって進む。
 すっぱり切れた尾根の左側には雪庇が張りだしていて危ない感じ。
 夏道らしいところにトレイルが残っていたので、慎重にそれをたどる。

 いったん大きく下り、最後の急登。靴ずれはもはや治療不可能状態なのだが、カットパンももってこなかったし、あとは下るだけなのでかまわず登った。
 かなりきつかったが、だんだん周囲が開けてき、登りきると大展望の頂上。10時半。

 もやがかかっていて、胸のすく展望とはいかなかったが、直近の釈迦ヶ岳はどっしりした姿をあらわしていた。
 快晴であれば南会津や男鹿山塊、那須山塊などがま近く見え、すばらしい展望だったろう。

 山頂の一画に避難小屋のような感じの神社があったので、風をよけるためにそのわきに腰をおろした。
 雲が多いわりには日射しはあたたかい。

 ナメコ入りのうどんをすすりながら、背負ってきた4合の日本酒を友人と酌み交わす。
 冷や酒だが、熱い酒が胃にしみわたっていくのを感じる。

 学生時代とおんなじに、住専への税金投入について、議論が始まった。

 議論は果てしなく続き、日本酒をいれたシェラカップの縁に薄氷が張っている。
 冷たい風が吹きすぎるが、なぜか寒さを感じない。
 酒がなくなるのはあっという間だった。

 いつの間にか、山はガスにつつまれ、釈迦ヶ岳も見えなくなっていた。
 お互いの写真をカメラに収め、下山にかかる。

 歩行だけなら、私の方がいくらか強いので、私が先になり、ゆっくり下った。
 スキーデポ地点からはヤブこぎ制動で楽に下れるかと思ったのだが、シールをつけたままだったためかあまりすべらないので、結局最終リフトまで歩いて下った。

 ヒノキ林をぬけ、リフトのところまで来ると、ばかばかしい音楽が鳴り響き、学生らしい、若い男女がまぬけ顔で、こっちを見ていた。

 疲れがどっと出、われわれはリフト降り場のわきでねころんだまま、動けない。
 しばし横になったあと、シールをはずしてのんびりとすべり下った。