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【年月日】 | 1997年2月12日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
織姫神社(11:05)−両崖山(11:47)−剣が峰(1:07-1:10)− |
【地形図】 | 足利北部、番場 |
気圧の谷が通過したばかりなので、北西風が吹いているはずなのに、なぜか南の強風が吹いていた。自転車にとって、向かい風はつらい。変速器を落としてやっと前進。下りなのに、汗が出た。
市内に入ったが、登山口がわからないので、織姫神社の鳥居近くのじゃまにならないところに自転車をとめ、石段から歩き始めた。
両崖山城跡や古墳など、おもしろそうな史跡がたくさんあるのだが、先のことを考えるとゆっくりしていられない。ここは、市内の史跡めぐりとあわせて、いつかゆっくり歩いてみたい。
神習教の偉い神職の記念碑というか、墓標が林立するのを見ると、両崖山。 『日本歴史大辞典』(河出書房新社)によると、この宗教は、明治初年に創始された教派神道で、「神は造化・気化・体化により天地を創造・主宰する本源で本祠大神と称し、その大道を宣揚して国教を天下に明らかにし、形式や理論ではなく人倫を正し、みそぎ・物忌・鎮魂などの神事修行で神人相通ずる真契を悟って安心すべし」と、説くそうだ。 唐沢山に拠った藤原秀郷の子孫が根じろにした両崖山で、明治ごろには、神習教の神職が日夜修行に励んでいたのだろう。
天然記念物タブノキの繁る境内の中央には、御岳神社が鎮座し、わきには天満宮と祭神の知れぬお宮があり、背後に比較的新しげな大黒様の像と、日本武尊と彫られた昭和三年造立の石碑とがあった。
ひといき入れて、北に向かうかに見える道を行くと、めざす大岩山がどんどん離れていく。快調に下っていったので、そのことに気づくのが遅れ、20分ほどのロス。
それを無視して歩いていくと、274メートルの三角点。足利・太田方面と低山の展望がよい。
少し下るとほんの少しの車道歩き。ジグザグの急登で剣ヶ峯(大岩山)の頂上に立つと、ベンチがおかれていて、これまた展望のよいところだった。ここで一服。 しばらく尾根を行くと、あやしげな踏みあとは二又となる。これは、左の急降下を選ぶのが正解。このあたり、地形図とコンパスとを参照しながら慎重に行った。ヒノキの植林の縁を急降下すると笹ヤブ。尾根が二つに分かれるが、ここは左が主稜。 背丈を没するササの中を下っていくと、地図上の行道峠。峠道は廃道化しており、通行は困難だろう。さらにササの中を行くと、また踏みあとが分かれる。今度は右が正解。
さらに少し下ると、月谷に至るという小さな私製の道標があってほっとするところだ。 わずかな日だまりでうどんをすすっていたら、銃声が二発、三発。「関東ふれあいの道」には「動植物を大切にしましょう」という立て札が立っているから、ここを歩いてればまず撃たれないはずだと思うのだが、ちょっと確信がない。
ここには巨石群まで7.2キロとある。今日の目的地はまだずいぶん遠い。 ゆるやかに登っていくと、突然ヤマガラのさえずり。姿は見えないが、ツーツーピーと一回だけ鳴いて、あとは恥ずかしくなったか、黙ってしまった。今年はじめて聞いた小鳥のさえずりだ。 足利城ゴルフ場を右に見ると、えらく急に感じる登り。息を切らせて登り着いたのは小祠のあるピークで、ザックをおろしてへたり込む。気持ちのよい疲れだ。
左前方には、肩に反射板のようなもののある丸いピーク。あれが赤雪山かな? また急降下して藤坂峠。 ここからしばらくは平坦だが、最後の426メートルピークまでの登りはつらい。あの山を巻いてくれりゃいいがと思いながら歩いていくと、ふれあい道はまっ正直に尾根を直登。最後の登りだと思うから我慢ができる。 これを越えると、松田町方面(湯ノ沢歩道)との分岐。ここのベンチで息をととのえると、自動車をおいた鳥居の前までのんびり下るだけだった。 |