−根本山から三境山− |
【年月日】 | 1996年5月3日 |
【同行者】 | 2人 |
【タイム】 |
石鴨先(7:19)−沢出合(8:13)−奥の院(9:33)−根本山 |
【地形図】 | 沢入 概念図(ポップアップで開きます) |
しばらくぶりで桐生川沿いの山歩き。
桐生川ダムを過ぎ、道路幅が細くなると、釣り人や川遊びをする人の自動車が至るところにとめてあり、さすがゴールデンウィークらしい混雑ぶりだ。
下山予定地がはっきりしないので、石鴨と不死熊橋の中間あたりに車を止め、ゆるゆると根本山に向かった。
車道のわきでは、ムラサキケマン、タチツボスミレ、ウシハコベなどが咲いており、ヤマブキやモミジイチゴの花も満開だ。
不死熊橋からは根本沢沿いの登山道にはいる。
オオタチツボスミレ、マムシグサ、ヒトリシズカ、ワチガイソウ、エイザンスミレなど、春の花がたくさん咲いていて、見るものにはこと欠かない。
ヒトツバエゾスミレもあちこちで花をつけていたが、ナルカミスミレといえる個体があったかどうかはわからない。
道はやがて左岸を高く巻く。
ふたたび沢身におりると、チャルメラソウ、トウゴクサバノオ、ヤマエンゴサク、シロバナエンレイソウ、ニリンソウなどが林床に点在する。
アザミ、ダイコンソウ、ソバナ、トリアシショウマなど夏以降の花はまだ芽を出したばかりだ。
約一時間歩いた二俣で小休止。
小さな支流をいくつか分けていくと、流れはしだいに弱くなってくる。
コンロンソウがもうすぐ咲きそうだが、ハナネコノメ、ヨゴレネコノメ、ミヤマキケマンは終わりそうだ。
ほぼ同水量の支流を左に分けると、古そうな石造物が増えてくる。
沢沿いに弘化四年に建てられた石階供養塔がある。
北海道の豊浜トンネルの崩落に際して「ルート選定に誤りはなかった」と居直った建設省・開発局と、道の安全を祈らんがために重い供養塔を運びあげた古い人とのこの落差・・・。
その先、石灯籠がでてくると沢は源流となる。
ちょっとした岩場には鉄バシゴがかかっているが、これがまた歴史を感じさせる打ち物のハシゴで、小さな文字でなにかしら経文のようなものが彫りこんである。
ここは神社のはずだがなぜか新しい梵鐘がある。
奥の院に一礼し、連続する鎖場をよじ登る。
尾根に上がると待望のアカヤシオがピンクの花をつけていた。
峰の平からいったん下って黒坂石分岐、そこから十字路まですぐだった。
枝越しに日光連山、奥白根、錫、皇海、袈裟丸連峰が望まれる。
今年三回目の根本山山頂。
道々摘んできた山菜と自家製キノコをいれたうどんを作る。
急な登りの疲れをいやしたのち、三境山に向かう。
鎖場を過ぎ、尾根に出ると快適な雑木林の中の登降が続く。
何年かまえ、今日と同じ日に鳴神山に登ったとき、アカヤシオはあらかた散っていたのだが、この尾根にはアカヤシオはないのだろうか。
石祠のあるピークを過ぎ、鉄索の残骸を見てしばらくでたぬき山への分岐点。
たぬき山分岐から三境山までは傾斜が少なく、らくなところ。
三境山のとがったピークが近づくと道はやや不鮮明になるが、最後の急登あたりからまたはっきりした踏みあととなり、アカヤシオの花がずいぶん多くなってきてうれしい。
緑の少ない足元にヤブカンゾウの芽があざやかに見えてくると、ほどなく三境山に到着。
コーヒーをわかし、菓子をつまんでのんびりする。
三境山南面の石がごろごろしたところの風情は秀逸だ。
ここからの下山ルートは問題だ。
分岐からしばらく尾根の上を下っていくと、すぐに新しいヒノキの植林地に出る。
植林地を過ぎると踏みあとが消え消えになり、カタクリの群落となる。
カタクリを避けながらしばらく行くと、植林のための作業道に出合う。
テレビなんかが捨ててある、ガードレールつき完全舗装の三境林道をしばらく行くが、自動車の行き来がけっこう激しいので、屋敷山沢への林道支線工事をしているところから沢沿いの砂利道に入る。
最初の堰堤を巻き下ったところのスギ林に白いぼんぼりのような花が無数に咲いていた。
さらに下っていくと簡易水道のパイプに沿う朽ちた木馬道。
あとは、馬頭尊の石仏を見たり、滝の写真を撮ったりしながら自動車のところまで戻るだけだったが、相変わらず狭い道に車があふれていた。
|