安蘇のシルクロード無惨・絹ヶ岳戦記

【年月日】

1996年4月12日
【同行者】 単独
【タイム】

県道峠−MTB−田沼高校横−唐沢山−諏訪岳
絹ヶ岳−琴平山−県道峠(タイムとらず)

【地形図】 田沼、栃木

絹ヶ岳山頂
 桐生の吾妻山には、絹織物を伝えた白滝姫伝説がある。
 足利には織姫山がある。
 そして、佐野・田沼の裏山の一峰には、絹ヶ岳という名がついている。
 機織りの街を抱く安蘇前衛には絹織物伝説がよく似合う。

 大鳥屋山や尾出山からの帰りに葛生町から南を見ると、富士山型のとても形のよいピークがある。
 このピークの名前を確かめにいくついでに、唐沢山から諏訪岳(京路戸)、絹ヶ岳、琴平山という里山の連なりを登ってみようと思った。

 佐野から田沼に向かって自動車を走らせる。
 唐沢山への道路標識が何ヶ所か出てくるが、さらに北上する。
 田沼まで来ると諏訪岳を指呼することができるが、それほど形がいいというほどでもない。

 さらに北上し、葛生町まで行って南をふりかえる。
 するとミニ富士山型のすっきりしたピークが見えた。
 やっぱり諏訪岳だ。

 葛生の市街地から栃木市への県道に入り、つづら折れの車道を峠までドライブし、琴平参道入口の石柱のある峠に自動車をとめた。
 ここが今日の下山予定地。

 小雪がやんだので、山歩きは決行。
 峠から登山口まではいつものようにサイクリングだ。
 道沿いに植えられたソメイヨシノが満開できれいだが、廃棄物の投棄もすさまじく、あまり快適ではない。
 それでも自動車で走るときとはちがって、道ばたでキジが自転車に気づかずによそ見をしていたりもする。

 葛生から唐沢山まではけっこう遠いが、平地なのでのんびりペダルをこいでいけばいい。

 田沼高校そばの駐車場に自転車を止め、唐沢山神社へ。
 いちばんはじめのカーブの手前にショートカットの小径があったのでそちらに入ると、セントウソウ、スミレサイシン、フイリヒナスミレなどが咲いており、サラシナショウマの芽や、盛りをすぎて変色しはじめたカタクリの葉などがあった。

 ムラサキケマンの咲く道路をわたると、ヤブレガサがちょうど頭を出したところ。
 径は消え消えなので、早くもコースをはずしたようだ。

 尾根を登っていくと何ヶ所かの小さな岩場となる。
 どっこらしょとクライミングすると岩の上はシュンランの畑で、ちょうど見ごろのジジババたちがこっちを向いていた。
 明治三年午十一月十七日という銘の入った石祠もあって、ちょっともうけものをした気分。

 やがて道形がはっきりしてくると、唐沢山神社の広い駐車場。
 ヤブコギをして登りついたところに料理屋さんなんかがあって、「さしみ八○○円」なんていう札が下がってたりすると少し不思議だ。

 まずは神社と唐沢城の由来を記した看板を謹んで読む。
 唐沢城を開いたのは俵藤太。
 今年の正月に登った近江の三上山にもおんなじ「ムカデ退治」の伝説を書いた能書きが建てられていた。

 境内の至るところが史跡で、それぞれ由来を記した立て札が立っている。
 いちいち見て歩きたいが、先の歩程も長いので、北への尾根に向かった。
 ここは「関東ふれあいの道」になっており、ブルで開いたらしい広い道が山腹を巻くようにつけられている。
 一帯は東京農工大学の演習林で、おおむね荒れたアカマツ林だが、ツバキがところどころ咲き残っており、ヤマザクラも咲いているので多少は心がなごむ。

 292メートルピークは右から巻くが、このあたりはまあまあの雑木林で、タチツボスミレ、シュンラン、チゴユリ、ツリガネニンジンなどが芽生えていた。

 おっとりした山容の諏訪岳が見えてくると、サカキの葉が散乱したところ。
 大小山で見たのと同じ光景だ。
 谷をはさんだ西側を見ると案の定ゴルフ場だった。

 京路戸峠で多田駅方面への道を分け、村桧神社方面へ向かう。
 尾根を少し登ると、諏訪岳への分岐があり、急登しばしで気持ちのよい日だまりの諏訪岳(京路戸)。
 展望といえるほどのものはないが、植林がされていないので、木々を通して三角点周辺の切り開きに風と光が入ってくる。ここで小休止。
 むらさき色のセンボンヤリなんかが咲いていた。

 諏訪岳から先には破線が書いてないので、絹ヶ岳までファイト一発かなあと思っていたのだが、田沼町・葛生町と岩舟町との境界とあってりっぱな踏みあとがつけられていた。

 町界尾根上の踏みあとは車道におりる手前で消えるまで、おおむねしっかりしていた。
 ゴミの散乱した車道をわたり、絹ヶ岳の採石場のわきを登ってみると、ここにもヤブはうるさいがしっかりした踏みあとがあった。
 立入禁止の立て札が林立していたが、何も悪いことはしないのだから登ってもいいのだと自分に言い聞かせてガケのヘリを登った。

 登っていると、頭上にヘリコプターが舞いはじめた。
 立入禁止の場所に入り込んだふとどきなハイカーを発見するための採石場の哨戒機かもしれないという考えが浮かんだ。
 そんなばかなと思いかえしたが、ヘリが真上に来たときには、スギの木の下に隠れてじっとしていた。
 そんなことをしていたら、こんどは「ベトナムの兵隊はこんなふうにしてゲリラ戦をやっていたのかな」という考えが浮かんだ。

 さらに、「あのヘリコプターがアメリカ軍だったら枯葉剤を撒かれていたかもしれないな」とも考えた。
 そして、「枯葉剤といえば、今だってゴルフ場では除草剤を撒いているなあ」という考えに思い至ったとき、「あのヘリコプターは除草剤の空中散布をやっているのでは?!」というかなりリアリティのある考えが浮かんだ。
 でも、薬剤を撒いているようなようすもなかった。

 踏みあとは297メートルピークの北でぷっつり切られていた。
 そこから先は採石場のガケで、ブルドーザが頂上付近をさかんに削っており、見張り番の人があたりを監視しているのが見えた。

 わけを話して通してもらおうかとも思ったが、尾根上の急斜面をくずしている最中とあってぜったい無理だと思ったので、岩舟町側の斜面を下り、ヤブの中をトラバースして栃木市との境界に出ることにした。

 斜面を数十メートルほど下り、監視員の人がいる鞍部の下を通過する。
 ガサガサという音で監視員の人に感づかれるのではないかと気が気ではない。
 さっきからベトナム戦争のことを考えていたので、「監視員の人がもっている交通整理棒?が自動小銃だったら完全にやられてるところだな」という考えが浮かんだ。
 ヤブの中を音を立てないで歩くのはとてもむずかしい。
 南東への支尾根を乗っ越し、また下って境界尾根にとりつく。
 キイチゴとツル植物が密生した最悪のヤブだが、スギの植林の中の廃道化した杣道を見つけたのでそれを登っていく。

 この時ヘリコプターが飛んできて、スピーカーで「南斜面に移動中!」とどなったので、頭の中がまっ白になった。

 この時ちょうど境界尾根の南斜面をずり登っていたからだ。
 ヘリがハイカー哨戒機にまちがいないと思ったので、それからはなるべくスギの木の下を選んで登っていくと、しっかりした踏みあとのある境界尾根に出た。

 そこからしばらく行くとブルドーザが山を削っている場所に出るが、小走りに北に向かう尾根に入った。
 ここまで来ればもう文句をつけられることはないので、改めて元絹ヶ岳の惨状をながめた。
 地形図には石灰鉱山の記号があるが、石灰を採掘しているようでもなく、セメント原料の粘土をとっているらしい。
 絹ヶ岳の南側、東北道に面した斜面からかなり広い範囲で白煙がのぼっている。
 山火事かもしれない。
 ヘリが「南斜面に移動中!」といったのはたぶんあの火事?のことだったのだ。
 それにしても、五○○メートルほど移動するのに一時間近くもかかってしまった。

 幸い絹ヶ岳の最高点は無傷だったので、小休止。
 小さな山名プレートもつるしてある。さっきのヤブコギで手のひらに血がにじんでいた。

石舟

琴平神社境内
 ここからは細いながらちゃんとした踏みあとがある。
 右前方に琴平神社が見えてくるとしだいにしっかりした山道になり、軽トラが通れそうなほどの道になると神社への分岐。

 石段を登っていくと神社の裏手で、境内正面に回り込むと、社務所や神楽殿、各種石碑、合祀された小祠、舟形石などのある神域。
 本殿に一礼し、境内を散策。
 ここからは南側が開けており、大平山からの一連の尾根や鹿沼の岩山が望まれ、今日のヤブコギのフィナーレを飾るにふさわしい展望だったが、神をも恐れぬ井上昌子のペンキの落書きを神楽殿に見つけてがっかりした。

 分岐まで戻ると、電波中継施設があり、今度は東から北にかけての展望が広がる。
 高い山は雪雲の中だが、うねうねとした安蘇の低山が一望できる。
 登った山はたくさんあるはずだが、しっかりと指呼できるのは特徴的な山容の大鳥屋山とアド山だけだ。

 そこから自動車をとめた県道峠まで五分もかからなかった。