瀕死の大小山

【年月日】

1996年3月16日
【同行者】 単独
【タイム】

東大久保バス停(10:45)−大小山(11:52)
−阿夫利神社駐車場(12:27)−

【地形図】 佐野

三柱神社前の馬頭尊
 阿夫利神社下の駐車場に自動車をとめ、まずは自転車で、町中をうろうろ。

 西場町のゲートボール場では、ゼッケンをつけたご老人たちが今日もお元気。
 ゲートボール場の一画には江戸時代に建立された「養老碑」がある。
 この地の儒者が建てたもので、市の重要文化財だそうだ。
 「養老碑」に元気なご老人とはまさにベストマッチだ。

 その先に百体観音というのがあったが、それは見ないでパス。
 さらに行くと、「村社 三柱神社」という石柱のある神社がある。
 ここでも道草。
 「明治三十七八年戦役人馬紀念碑」という比較的新しい石碑は、日露戦争に関するものだ。
 日露戦後から大正にかけてはこの手の石碑がとても多いなー。

 その横の石仏はずいぶん風化が進んでいるが、馬頭尊のようだ。
 なぜかしめ縄が張ってあるが、観音像にしめ縄とはお門違いではあるまいか。
 そのほかにも石碑があるが、風化していて判別しがたい。

 ふたたび自転車に乗り、栗田美術館の前を通ってバス通りへ。

 自転車をロックする適当な場所がなかったので、山側に少し入った竹藪のそばまでいって自転車を止め、そこから尾根にとりついた。

 若いアカマツとシラカシ、サカキに灌木の茂るヤブ尾根だが、山道ははっきりしている。

 すぐ右下がゴルフ場なので、気分はあまりよくない。
 何も考えずに歩いていたら、この尾根に自生しているサカキの半分以上が枯れているのに気がついた。
 枯れていないものも、まだ青いままの葉をたくさん落としていた。
 カシ類はあまり枯れていないが、それでも多少は枯死していた。
 コウヤボウキやヤブコウジなどの低木も枯れていた。

 その枯れ方は、まさに除草剤を散布したときのそれ。
 常緑樹の枯死は、ゴルフ場での農薬(除草剤)の散布による可能性が高い。

 電波施設を過ぎ、小さな登り下りをくり返すと、かわいい露岩も出てき、大展望が開けるピーク。
 ただし、下はゴルフ場だ。

 そこから少し下り、ひと登りしたところが大小山の三角点で、何人かのハイカーが憩っていた。

 ここもまた展望にすぐれたところで、遠いところでは、女峰山、男体山、奥白根山、皇海山、袈裟丸山、赤城山、浅間山、秩父連山、さらには富士山までが見えていた。

 赤城と浅間の間からは草津・志賀周辺までがまっ白に輝いていた。
 袈裟丸、赤城の手前の低山はこの冬通った桐生奥の山々だ。
 一番高く見えるのが根本山だろうか。

 展望はすばらしいのだが、木が枯れているのを見たあとなので、気持ちはどうしても晴れなかった。
 キタテハだろうか、美しいタテハチョウが何頭も舞っているのが、せめてもの救いだ。
 寒かった今年の冬を彼らはどこで過ごしていたのだろう。

 小休止ののち、東尾根コースから阿夫利神社駐車場へと下山した。