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【年月日】 | 1996年3月3日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
五丈ノ滝駐車場(9:10)−MTB−明光寺入口(9:40) |
【地形図】 | 仙波 |
一八八四(明治一七)年、埼玉県秩父郡で数千人の武装農民による革命戦争、秩父事件が起きた。
この事件の性格や経過については、諸々の史書をひもとかれたい。
ところで、とある書物を調べていたとき、私は、この秩父事件に二名の栃木県人が参加しているのに気がついた。
彼に関する史料は、「暴徒未決者名籍」という簡単なプロフィールを記したものと「裁判言渡書」の二点しかない。
でもとりあえず、秋山村とはどういうところなのかだけでも見てみたいと思い、葛生町秋山を訪れてみた。
自動車を岳ノ山登山口である五丈の滝駐車場に止め、MTBで常盤中学校のわきから秋山川を渡った小屋集落までサイクリング。
ほんとうは不動岳に直接とりつきたかったのだが、不動岳の山腹一帯がサンモリッツゴルフ場になっていたので、ずっと南の354水準点から縦走を開始した。
小屋集落の山ぎわにある明光寺のわきを通り、道なりに進むと、広い畑のわきを抜けて沢沿いに登るしっかりした仕事道。
この日のルートは北西方向だが、踏みあとはおおむね不鮮明なので、随所で地形図とコンパスを参照した。
354水準点から西に向かうと、南側が新しい植林地で見晴らしがよく、田沼町方面が見渡せるが、目の下はサンモリッツとは別のゴルフ場なのであまり気分はよくない。
その先の小ピークには嘉永二年に作られた小さな石祠。
このあたり踏みあとは消えぎえだが、町界を示す赤いコンクリート杭があるので、それをめあてに歩ける。
不動岳は腰をおろすところもないヤブのピークだが、嘉永六年の石祠が忘れられたようにおかれていた。
不動岳を過ぎると、さすがに疲れてきたので、少し行った460メートルほどのピークで大休止。
ルートに気を使いながら登りつめると、唐沢山。
この日初めての山名表示板のあるピークだ。
ちょっと長い急登をがんばると、576メートル水準点。
ここには、榛名山と彫られた明治三年の石祠。
田沼町と葛生町を結ぶ峠はしっかりと踏まれている様子で、風化しかかった地蔵様と「天明五年七月吉日奉加造立」という石碑、あともう一体風化してしまった石造物がおかれており、赤テープがそこらへん一帯に巻かれていた。
ここからの道は明瞭で目印もたくさんあるので迷いようがないのだが、今度は長い急登で登りがつらい。
ようやく登り着いた大鳥屋山の肩周辺は安蘇らしい自然林がわずかに残っていて気分がよかった。
たどり着いた大鳥屋山の広い山頂には雪が残っていた。
大鳥屋山への登りの途中でずいぶん疲れたので岳ノ山はカットしようかなと思い始めたのだが、小休止で元気が出たので、さらに北西へ。
岳ノ山への登りは露岩の多い急登だが、両手両足を使って登るので、足だけで登るよりずっとらくだ。
展望には恵まれないが、しずかなところだ。
ここの石造物には荷造りテープで小さなひょうたんがくくりつけられていて、刻まれた文字が読めない部分もある。
五丈の滝は、渇水のためほとんど水流なし。
「白鉢巻白襷ニテ味方ノ目標ト為シ他人ヨリ預リタル袴ヲ穿チ刀ヲ携ヘ暴徒ニ随行」(裁判言渡書)しただけで罰金六円という異常に重い刑を受けた秋山村の青年影山久造のことは、今なお謎につつまれたままである。
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