美しい雑木林の山頂
−白浜山から根本山−

【年月日】

1996年2月20日
【同行者】 単独
【タイム】

加藤畑林道入口(10:57)−白浜山(12:14-12:31)
根本山(15:16-15:24)−遭難碑(16:34-16:41)−
黒坂石キャンプ場(16:55)−(MTB)−加藤畑林道入口(16:59)

【地形図】 沢入
  白浜山は「たぬき山」と呼ぶ人も多いのですが、その呼称には根拠がありません。
  歴史的には、白浜山と呼ぶのがもっとも妥当です。

白浜山山頂部

 林道作原沢入線が分岐する黒坂石キャンプ場前にMTBをデポし、白浜山(俗称「たぬき山」)登山口になる林道加藤畑線の入口から歩き始めた。

 加藤畑線は除雪もしてあるが、すぐに左に分岐する林道に入ると、こちらは自動車が入っている形跡さえまったくない。しばらく行ったところに左に入る林道があったので、それに入る。二万五千分の一「沢入」にある明瞭な支流が入るところだ。道路が沢をわたるところからは山道となる。このあたりのスギ林はなかなかよく手が入っている。

 やがて右から小沢が入るところで、そちらの沢に沿った踏みあとに入ってみた。あとでわかったのだが、そこは「沢入」の八八三メートル水準点のすぐ南の小沢だった。しばらくは沢沿いの踏みあとを行ったが、沢が尽きる少し手前で左の支尾根にとりつき、急な尾根を立木をたよりによじ登った。

 このあたりの雑木の中には、昨日シカがビバークしたあとらしい雪面のへこんだところがいくつかあり、足跡もたくさんついていた。そういえばちょうど狩猟シーズンの終わったころだ。ハンターのえじきにならなかった幸運は、シカも私も同じなので、同慶の至りだ。

 ようやくの思いで主稜線に登りつくと、白浜山はもうすぐ目の前だ。コナラ、リョウブ、ブナ、ウリハダカエデ、シラカンバなどが混生する足尾らしい自然林をゆっくり登っていくと、ほどなく白浜山三角点に着いた。

 葉を落とした木々の間からは、赤城山、袈裟丸・皇海連峰、日光連山などがのぞいている。雲は多いが天気はまあまあ。ただ気温はかなり低く、風が吹くとじっとしているのがつらい。積雪は20センチくらいなので、歩行そのものは困難ではない。

 ここでうどんを作って食べ、一息入れてから根本山への縦走にかかる。

 白浜山は根本山から三境山への稜線に派生した支稜上のピークだ。ところが、この支稜は椀名条尾根のような一本尾根ではなく、無数の尾根が複雑にからみ合っている。地形図をしっかり見て現在地を確認しながら歩かないと、すぐにどこかの支尾根にはいり込みそうな感じがする。

 白浜山からはまずすぐ前の白浜山東峰をめざして急降下し、そして急登する。同じような自然林の好ピークだが、三角点峰よりこちらの方が少し高い。

 東峰からは真東にルートをとる。ここからは右がヒノキの植林、左が雑木の二次林という樹相になる。踏みあとはあまり明瞭ではないが、雪があるので歩きやすい。荷造りテープによる目印も随所にあり、ちょっと多すぎるのではないかと思うほどで、ルート判断は案じていたよりずっと容易だ。

 一○六四メートル水準点ピークからは尾根が複雑になるので、要所で地形図を参照し、現在地を確認しながら登降していくとあっけなく主稜線のジャンクションポイントに出た。

 三境山〜根本山は市町村境にもなっているので、あとは根本山に登って下山するだけだと、お茶など飲んで一息入れた。

 ところがこのコースは登り下りが思ったよりも大きく、歩程も長いので、けっこう時間がかかった。鉄索の残骸のあるところを過ぎ、一一二○メートルほどのピークを越えると、「黒坂石へ」という札が見え、尾根コースとトラバースコースに道が分かれる。ここは尾根コースに入った。

 少し登ると新しく伐採したところがあり、北側の展望が広がる。皇海山から日光白根山、山王帽子、太郎山、男体山、女峰山などが望まれる。この山塊から日光白根がはっきり見えたのは初めてだ。

 巻き道がふたたび合流すると、いよいよ根本山直下の急登となる。道はしばらく登っていくが、やがてとても登れないほどの急な斜面となり、南にトラバースしていく。2ヶ所の鎖場は容易だが、鎖のかかっていないところの横断は雪があるだけにちょっと危ないので、立木にぶら下がって通過した。

 踏みあとも細くなるがどんどん南へ歩くと、沢コースの入口らしいところに出、さらに行くと野峰から来たときに通った十字路に着いた。当初の思惑よりもずいぶん時間がかかり、根本山に着いたのは3時を回っていた。

 根本山は、このあたりでは名の通った山だと思うのだが、雪が積もって以来人が通った気配はなく、シカと私の足跡だけが雪面に残っていた。さすがにくたびれたので、ここでまた少し休んだ。

 結局ここまでに黒坂石への下山道を見つけることはできなかった。しかたがないので、根本山から北に急降下する尾根を下ることにした。踏みあとはまったくない。とても急な雑木林を100メートルほど下ると新しい植林地に出た。ここはなかなか展望のよいところで、逆光ながら三境山や残馬山を望むこともできる。この地点はもうけものだ。今日はじめに登った白浜山尾根は正面のぱっとしないところだが、ここから白浜山はずいぶん遠い。

 そこからも男体山を目印に植林地のヤブを下る。小さなコブで尾根が分かれるがここは左に入った。最近伐った下枝や灌木が散乱していてうるさいが、雪があるので多少はましだ。やがて下降目標だった金山林道の金五郎橋の下にきっちり下り着いた。ここには沢に沿った根本山登山口がちゃんとあった。

 あとは金山林道〜作原沢入林道を黒坂石までのんびり下るだけだった。ここは氷室山から椀名条山を回遊したときに通ったのだが、黒坂石の少し手前でその時には気がつかなかった「遭難者菩提之碑」という石碑が目についた。この山でハイカーが遭難したのかと思って碑文を読んでみると、そこにはこのようなことが刻まれていた。

  維時明治二十八年九月八日連日ノ霖雨天候不安ナリシカ果シテ激烈ナル暴風
  雨ト変ス数時間ノ豪雨大洪水ヲ来シ怱チ山ノ各所崩壊シ土砂泥水瞬間ニ襲来
  シ激流ニ呑レ死傷者数拾人小家ノ流失倒壊シタルモノ金山ノ大半ニ及ヘリ其
  ノ惨状実ニ名状スヘカラス殊ニ笹川善作氏ノ如キハ家族四人ノ死体発見ニ至
  ラス其ノ当時ノ惨状ヲ想起シ遭難者ノ冥福菩提ノ為建之
      昭和十二年五月      自誌 建設者 村井弥市

 碑文を書き写していると手がかじかんできた。しかし、村井弥市という名前には記憶がある。たしか、金山林道と椀名条林道の分岐点の山神社の境内にある林業記念碑を建てた人だ。この人はかつてこの村の村長でもあったのだろうか。とにかく私費で黒坂石の谷の歴史をいしぶみに残した篤志家である。今、東村の歴史でこの人はどのように扱われているのだろうか。それにしても、金山谷に人家があったとは驚きだ。その人たちは、いったいどのようにして生計を立てていたのだろう。

 いろいろ考えているうちにキャンプ場前のMTBデポ地点に着いた。