大嵐山と荒海山

 【年月日】  1995年10月28〜29日
 【パーティ】 極楽蜻蛉と友人
 【タイム】 10/28 湯ノ花(8:20)−大嵐山(10:40)−湯ノ花(13:50)
       10/29 鉱山あと(8:37)−荒海山(11:08)−鉱山あと(14:17)
 【地形図】 湯ノ花(大嵐山)、荒海山(荒海山)

大嵐山から荒海山(中景の山)

 大嵐山という、いかにも荒々しそうな名前がいい。
 それに展望もいいらしいし、ブナ林もありそうだし、登山口はひなびた湯治場だ。
 あまり登山者もいそうにない、典型的な会津の山だ。

 林道のわきはおおむねスギ林だが、ところどころカラマツを植えたところもあって、クリタケやキヌメリガサが少しとれた。

 林道終点には駐車場があって、すでに先客がいるようだった。
 そこから山道。

 ブナ林を期待していたのだが、原生林はとっくに伐採されており、巨大な切り株が点在。
 ブナやカエデ類が育っているが若木が多くてキノコが出そうな倒木は全くなし。

 水流はすぐに消えてしまい、やがて急な尾根にとりつく。
 急登をひとがんばりで稜線に出ると、早くも真っ白に冠雪した飯豊連峰が見えた。

 地形図を見ると頂上まで急登続きのような感じを受けるが、実際にはさほどひどい登りではなく、小さなアップダウンを繰り返しながら高度をあげていく。

 シャクナゲ、ヒカゲツツジ、リョウブ、ナナカマド、ブナ、ヒメコマツ、コメツガ、クロベ、アスナロなどいろいろな樹木が混生しているが、頂上直下は森林限界を超え、アカミノイヌツゲやツツジ類だけ。
大嵐山から枯木山

 足元ではイワウチワ、イワナシ、ショウジョウバカマなどが、冬の準備。

 2時間半足らずで頂上。
 澄み切った晩秋の空に雲一つない快晴で、20万分の一「日光」にある山がすべて見えるといっていいくらいの大展望。
 大嵐山から明瞭に確認されたのは、枯木山、小真名子山、太郎山、女峰山、男体山、日光白根山、田代山、帝釈山、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳、三岩岳、守門岳、浅草岳、蒲生岳、七ヶ岳、飯豊連峰、那須連峰、二岐山、男鹿連峰、高原山、荒海山。

 枯木山は会津の中級クラスの山のなかではかなりめだつ山。
 独立峰ではないが、なかなか鋭いピークだ。
 このあたりの山にくわしい先客に聞くと、沢をつめヤブをこげば山頂に立てるとのことだった。

 日光連山はずいぶん近い。
 小真名子は大真名子と重なっている。
 こっちから見ると男体山より太郎山の方が立派に見える。

 田代山と帝釈山は今までほとんど一つの山のように見ていたが、ここから見るとそれぞれ特徴的なピークだ。
 低山の向こうに頭だけ出している燧ヶ岳や会津駒ヶ岳から三岩岳にかけてのなだらかな稜線は冠雪しており、もう根雪になっているようだった。

 会津朝日岳は奥只見の中級山岳に囲まれているのでどれがそうだかわからない。
 また、越後三山や平ヶ岳は会津駒に阻まれて見ることはできない。

 守門岳と浅草岳は蒲生岳があるからわかる程度。
 飯豊は真っ白ですばらしい。
 那須では茶臼岳の噴煙が遠く望まれる。
 男鹿と高原は独立した山塊なので、それぞれ魅力的。
 翌日登る予定の荒海山は至近距離。

 いつまで見ていても飽きないが、ビールとワインを飲み、クリタケ入りうどんを食べているとあっという間に時間が過ぎた。

 久々に湯ノ花の共同浴場に行ってみると、4年前に来たときよりこぎれいな建物に改築され、村人用、男性用、女性用の3つの小浴室ができていたが、以前のひなびた風呂の方がずっと風情があった。

 腹が減ったので途中でそばを食べ、宿泊予定の三滝温泉へ。

 翌日は山登りに行くといっておいたので、7時過ぎに朝食を持ってきてくれた。おかげで8時過ぎには宿を出、荒海山に向かうことができた。

 登山カードを記入するポストを過ぎ、小沢をわたり、荒れた道をしばらく行く。

 すぐに荒海川を渡り、水流の細い小沢に沿った道だが、すぐに急な支尾根をからむようになり、一気につめあがって尾根の上に出た。

 雲と風はあるが視界はさほど悪くない。
 紅葉も盛りを過ぎたが、部分的にはまだ結構きれい。

 そこからは尾根の上を緩やかにアップダウンしていく。
 ブナ、ヤマザクラ、ミズナラなどが生えているがいずれも二次林。
 一方、アスナロの大木は伐採されなかったのか、かなりの巨木がたくさん残されている。シャクナゲやヒカゲツツジも多い。
 ときおり、木々の切れ目から荒海山の頂上が見えるが、ガスが巻いているのがわかる。

 最後の登りは急登。
 さえぎるもののない山頂だが、ガスが舞っていて展望はよくなかった。
 それでもガスの切れ目から見える周りの山は、紅葉の最後の彩りを見せていて、まずまずだった。

 「大河の一滴ここより生る 阿賀野川水源之標 田島町長渡部宥書」というこわれた石碑が倒れたままになっていた。

 お昼過ぎに山頂を辞し、どんどん下った。

 この日は塩原のどこかで露天風呂に入って汗を流そうと考えていたが、早くも渋滞が始まっていたので、まっすぐ帰ることにした。

 大嵐山の大展望、三滝温泉の料理と温泉、荒海山のピークを踏めたことなど、満ち足りた山行ではあった。