丸森町から、小さなトンネルを二つくぐると、霊山町に出られた。
今回の山めぐりのフィナーレは、先月読んだ、藤原仁『まぼろしのニホンオオカミ』(歴史春秋社)に出ていた、気になる山に登ることにした。
行合道バス停から南に向かう道路を行くと、山津見神社への大看板がある。
霊山とちょうど対面するようにそびえているのが、めざす佐須山。
この山は、山津見神社の奥社でもあるので、神社が登山口になるのだ。
駐車場には、「山の恵みに生きる人々の守護神」という大看板が立てられていた。
その能書きに心動かされ、まことにささやかなるこころざしを寄進して、本殿で拝礼。
この神社の狛犬は、わたしの住む地方と同じ、お狗さま。
すなわち、狼だ。
このタイプの狛犬は、埼玉県秩父地方には珍しくないが、他の地方では、群馬県鳴神山でしか、見たことがない。
神社の由来によれば、源頼義(八幡太郎の父)が、奥州「征伐」のおり、白狼の手引きにより、佐須山に立てこもった「凶賊」墨虎を退治したのが、始まりとのことだ。
阿武隈の山を歩くと、至るところに、この手の伝説が残されている。
墨虎は、「蝦夷」(東北原住民)系豪族安倍氏の家臣。
征服者は、こわ高に、みずからの功を喧伝し、被征服者は、沈黙を強いられる。
歴史が、そのようにして書かれるものならば、なんとも、むなしい。
わたしは、佐須山の由来を、藤原仁氏と同じく、サス=焼き畑の山、と解く。
秩父や奥多摩地方には、サスと名のつく地名は枚挙にいとまがなく、いずれも急傾斜で、農業条件の悪いところだ。
焼き畑農業の大敵は、シカとイノシシ。
シカ・イノシシの天敵であるニホンオオカミが、神の使いとして信仰されるのは、ごく自然なことだった。
神社の裏手をゆっくり登ると、柄杓の備えられた、水場。
ここでわき水をいただき、少し行くと、直登ルートとの分岐。
ここは、ぐるっとトラバースする一般ルートを行く。
少し下って登ると、墨虎が隠れていたという岩穴。
白狼伝説を、現地住民の中に、源頼義に密かに通じるものがいたことを示すものだ、と考えるのは、深読みしすぎだろうか。
ハシゴや鎖にすがって、ぐいぐい登ると、目の前に、天を刺すような岩峰。
たいへんすばらしい。
これを登ると、岩の基部に奥社があって、大工さんが修理の最中だった。
奥社のわきをさらに登ると、実質的な山頂ともいうべき、大展望の岩峰に立てた。
背が足らないので、霊山全山は見えない。
南側は、花塚山や口太山など。
相変わらず寒いが、気のすく展望だ。
今回山行の4座は、いずれも、展望の山だった。
佐須山三角点は、そこから少し行ったところ。
山名表示さえない、小さな切り開きだったが、墨虎の霊魂はこちらに鎮座して、参詣者の多い山津見神社を見下ろしているように思えた。
帰りは、直登ルートにしようと思っていたが、怖ろしげなハシゴが掛かっていたので、来た道を戻った。