二本松インター付近は雨。
冬型気圧配置なので、向かって左が雲に隠れているのはしかたないが、阿武隈側もガスっていたのは、計算ちがいだった。
天気の回復に期待して、まずは展望を期待しない山歩き。
国道を隔てて口太山と対峙する存在感あるピーク、木幡山に向かった。
この山は、十二月はじめにおこなわれる、木幡の旗祭りで有名だそうだが、私は、その時期は忙しいので、見に来ることはほとんど不可能。
それどころか、去年などは、地元の超有名な祭りで旗持ちなどやらされたのだった。
由緒あるお寺らしい風情の治陸寺(じろくじ)近くにも駐車場はあるが、寺院信仰の深くない身には、敷居が高い。
そこから少し進んだところに、児童公園があり、反対側には、なぜかいきなりフリークライミングの人工壁が屹立している。
もちろん、人っ子一人いない。
自動車をここに止め、隠津島(おきつしま)神社の参集所だという建物のわきから石段を登っていく。
山道といっても、鎖でできた手すりが備えてあり、歩幅に合わない石段が、ずっと続く。
あたりは、スギの美林だが、ケヤキやカヤの木も混じる。
林道をわたり、さらに登っていくと、案内板などの立つ車道の終点。
すぐ上にはあずまやなどもあり、安達太良方面が見渡せるようになっているが、この日の展望はなし。
ひと登りで、隠津島神社の大杉。これは天然記念物に指定された、樹齢800年という老杉だ。
あちこち治療のあとが残り、十数本のつっかい棒によって支えられており、老齢は否めないが、堂々たる巨杉であることには、まちがいない。
スギの脇には、門神社なる社。
屋根の勾配がじつに美しく、由緒の深さが感じられる。
立て札には、17世紀に移築された、隠津島神社の旧本殿だと書かれていた。
周囲には、秋葉山、天満宮、巳己待、養蚕霊、甲子待などの石碑類。
養蚕霊という石碑は、関東地方では見た記憶がない。
江戸時代に養蚕技術を発展させ、貿易開始後は、養蚕へのエネルギーを慶応2年の信達大一揆へと昇華させていった奥州の民の心に、いささかなりとも触れることができたような気がした。
そこからしばらくで、三重の塔。
周囲の花崗岩には、線刻の観音像が多い。
江戸時代には、完全に神仏習合の世界だったようだ。
この三重の塔は天満宮。菅原道真を祀ってある。
そこから先には、小さな神社が建ち並んでいた。
医薬神社。
養蚕神社。
足尾神社。
白山神社。
八坂神社。
養蚕大神社。
これらの神社名は、おそらく明治以降になってつけられたものなのだろう。
ここから経塚までは、ふつうの山道。
尾根の上には、経塚の遺跡が並んでいた。
経塚から木幡山の三角点までは、荒れた松林の中、不鮮明な踏み跡をたどる。
三角点は展望皆無だったので、早々に引き返し、神社下の林道を少し南に歩き、羽山神社への道標のある、カラマツの植えられたところを西に歩いた。
感じのよいしっかりした道で、予想通り、人工壁のすぐ手前におりついた。