弥宣の鉾と義民の碑

 【年月日】  1996年12月27日
 【パーティ】 2人
 【タイム】  高山クラブ(11:16)−弥宣の鉾(12:08-12:30)−高山クラブ(1:10)
 【地形図】 上川内

川内義民の碑
 高山クラブという看板のあるゲートボール場から林道にはいる。

 おおむねスギ林だ。林道が終わるとヤブっぽい道となり、沢の右岸に沿って歩く。

 地形図にある左岸沿いの道はすでに存在しないらしい。

 この道を行っても見通しがないので、堰堤の上を左岸に渡り、ザレていないガケを中段まで登り、すこし戻って灌木の生えた泥壁を尾根までよじ登ると、りっぱな遊歩道があった。

 北を見ると、弥宣の鉾らしきピークの上になにやら電波塔のようなものが建っていた。

 残念だが、せっかくここまで来たのだから、ピークまで行ってみようと、ミズナラやモミ、アカマツのあいだを通って、電柱の建つ防火帯をゆるやかに登る。

 ヤドリギがミズナラについていたり、サルトリイバラが凍っていたりするのを見ながら行くと、三等三角点の弥宜の鉾。

 人工物は、テレビ電波の中継施設で、北からジープの登る道が山頂までついていた。

 風がやみ、気持ちのよい日だまりとなったので、ここではのんびりと多めの小休止。

 山頂の展望もまずまずで、大滝根山や大鷹鳥谷山などを望むことができた。

 帰りは、遊歩道を下った。

 「村民の森」という看板のあるところで車道に出、自動車のところに戻った。

 ところで、このすぐ近くに麓山神社があり、その入口に「川内義民之碑」という、堂々たる石碑が建っている。

 とても興味をひかれたので、立ち寄って碑文を読んでみた。

(表面)川内義民之碑

      烈士

        横田恭享   二十五歳
        石井五右衛門 二十五歳
        三瓶惣右衛門 二十八歳
        秋元寅松   二十五歳
(裏面)

 寛政年間幕政辛酷ニシテ住民百姓塗炭ノ苦シミニ陥リ住民幾度カ愁訴嘆願スルモ上ハ顧ルトコロナク益々暴政ヲ極ム 之ニ憤激シ本村横田恭享外頭取トナリ領内馬場ノ平ニ十数ノ村百姓嘯集シ所謂強訴ノ挙ニ出デタリ 然レトモ其ノ目的中半ニシテ騒擾罪ニ問ハレ審議中獄中ニ斃レシト伝フ 其ノ事蹟歳月ト共ニ消滅スルハ誠ニ遺憾ノ極ミナリ 依ッテ茲ニ顕彰碑ヲ建立シ其ノ英霊ヲ慰メ其ノ業績ヲ後世ニ伝ヘン
             撰文 元川内村長 秋元鼎蔵
翁建碑ノ宿志中半ニシテ倒ル 吾等氏子総代翁ノ遺志ヲ継承シ神社費ニヨリ之ノ碑ヲ建ツ

昭和五十七年十月

 (以下略)

 なんとも、感動的な石碑ではないか。